今から8年ほど昔、あるきっかけで、大阪に住むある女性とメールを2、3度交
わしたという記憶がよみがえった。当時38歳だったから、もう46歳近くになっ
ているはずだ。その女性は、母子家庭の母親で、当時5歳の息子が1人いた。
もう13歳、中学に通っているはずだ。
その少年は、この母親と黒人との間に生まれた日米混血児である。従って、(ま
だ差別意識の強い)日本の社会ではなかなか暮らしにくい。この母親は主にキー
ボードを使って、色々な流行歌の作曲をすることを職業にしている。彼女はその
当時、この母子家庭を勇気づけてくれる話相手 (男性)を海外に探していた。
ちょうど我々がパール・バック女史の伝記(訳本)を出版してから、まもない頃
だった。女史は名作「大地」の著者であると共に、ノーベル文学賞をもらった有名な
米国作家であるが、その生涯の前半(約40年)を、中国大陸で過ごすという、
ユニークな体験の持ち主である。そこで、女史は極東の社会や文化に精通して
おり、戦後まもなく、日本を初め、韓国、台湾、フィリピンなどのアジア諸国に駐
留していた米軍の将兵たちと、現地の女性との間に生まれた混血児で、父親が
(米国に引き揚げる際に)置き去りにしていった、いわゆる混血孤児たちの面倒
をみる(養子斡旋をする)ための財団を設立し、自らも数人の孤児を自宅に引き
取った慈善家としても良く知られている。
それが、この母子家庭とメールをやり取りし始める直接のきっかけとなった。我々
の出版した女史の伝記を紹介し、この母子家庭をできるだけ勇気づけるのが、主
な理由だった。幸か不幸か、その文通は数か月で途絶えてしまったと記憶してい
る。ごく最近になって、私が癌研究所をリタイアして、メルボルン郊外に引っ越
しを済ませ、古くなった書類の山を整理中、この女性との最初の文通メールの英
文コピーをたまたま発見した。この母子家庭から送られてきた2、3枚の写真を、
今でも懐かしく思い出す。その後も歌の作曲で活躍している様子だが (メール・
アドレスが変わってしまったので)詳しい消息はわからない。 願わくば、この
家庭が幸せになっていることを、心から祈ってやまない。。。
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