「日本の民法」は、同性婚の禁止を明言していないが、条文の主語が「男は」「女は」とされるなど男女の婚姻を前提としていると解釈されているため、日本では法的に認められない。全国の同性愛者ら455人は7月、同性婚の法制化を政府や国会に勧告するよう日本弁護士連合会に人権救済を申し立てた。 全国に先駆けて東京都 "渋谷区" と "世田谷区" は、生活を共にする同性カップルを夫婦と同じような関係の 「パートナー」 と認める制度を始めた。
「同姓間の結婚」に関する日本経済新聞の記事(2017/11/16日号)
同性間の結婚を認めていない今の民法は、結婚の自由とひとびとの平等を定めた憲法に違反している……。台湾の憲法裁判所にあたる司法院大法官会議がこんな考えを明らかにしたのは、ほぼ半年前のこと。さらに同会議は2年以内に立法措置をとるよう明確に求めた。
▼台湾で初めての女性総統である蔡英文さんがひきいる民進党政権は、かねて同性婚を認める方針をかかげてきた。形のうえでは司法が先手をとったわけだが、大胆な改革への政治的な追い風になったのは間違いない。行政の面では早々に同性カップルへの配慮に着手し、アジア初の同性婚合法化も時間の問題となっている。
▼南半球の豪州では昨日、大きな動きがあった。同性婚を合法化するかどうかをめぐる国民投票の結果が発表されたのである。有権者の8割近い人たちが郵便を通じて意見を表明し、うち62%が合法化を支持した。国民投票に法的な拘束力があるわけではないが、政治に一歩を踏み出すよう促す効果は小さくない。
▼同性婚を法律で認めるか否かは、社会的少数派に向ける多数派のまなざしの反映だろう。いわば異端として排斥するのか、それとも同じ人間としてその自由をできる限り尊重するのか。日本では「両性の合意のみ」が結婚の基礎だとする”憲法24条”が焦点となる。動き出した"憲法改正" 論議がどこまで踏み込むか、注視したい。
(2011年現在) 同性婚を認めている国には、オランダ(2001年)、ベルギー(03年)、スペイン・カナダ(05年)、南アフリカ(06年)、ノルウェー・スウェーデン(09年)、ポルトガル・アイスランド・アルゼンチン(10年) などがある。米国では、マサチューセッツ州(04年)で最初に認められ、コネティカット州(08年)、アイオワ州・ニューハンプシャー州・バーモント州・ワシントン(09年) などに広がっている。
"比較的保守的"な「日経」が「同姓婚を合法化するために、憲法24条を改正すべき」と主張する裏には、国民の「死活」問題である憲法9条も一緒に (どさくさ紛れに) 改悪してしまおうという意図 (自民党を支持する"兵器企業"の魂胆) がありありとうかがえる。。。要注意!
生物学者 (無神論者)である私の目から観ると、「結婚」という生物現象は、(人間が勝手にでっち挙げた色々な神の存在を信じる) 「宗教」同様、人類社会にしか存在しない例外的な (人工的な) 現象である (「猿」が結婚式を挙げたという話を聞いたことがない) 。 子孫を残す (種の保存) には、不可欠な現象ではない。"性交"と"結婚"は、明らかに別現象である。結婚せずに同棲でも、性交は可能 (合法) である。一体何のために、人類だけ「結婚」という制度にかじり着くのだろうか? 憲法を安易に改正 (改悪) する前に、じっくり考えてみよう!
さて、宗教と結婚との間には、ある (密接不可分な) 共通点がある。それは一体何だろうか? 神への誓いによって、「個人の自由」を一生束縛し得る力が潜んでいる。だから、特にカトリック教では、(今でも) 離婚が許されない (英国エリザベス一世の父親であるヘンリー8世は妻を離婚して、別の女性と再婚するために、カトリック教を否定して、「英国国教会」という新しいキリスト教派を発足したという有名な史実がある) 。 実は、神などこの世に実在しない! その昔、(予言者を装う) 誰かが勝手にでっち上げた真っ赤なウソっぱち (神話) に過ぎない。 従って、「仮想の神」に何を誓っても、全く「無意味」ということになる! 宗教の戒律も結婚制度も「為政者が住民を巧みに操る」ために利用している "道具" に過ぎない。
"比較的保守的"な「日経」が「同姓婚を合法化するために、憲法24条を改正すべき」と主張する裏には、国民の「死活」問題である憲法9条も一緒に (どさくさ紛れに) 改悪してしまおうという意図 (自民党を支持する"兵器企業"の魂胆) がありありとうかがえる。。。要注意!
生物学者 (無神論者)である私の目から観ると、「結婚」という生物現象は、(人間が勝手にでっち挙げた色々な神の存在を信じる) 「宗教」同様、人類社会にしか存在しない例外的な (人工的な) 現象である (「猿」が結婚式を挙げたという話を聞いたことがない) 。 子孫を残す (種の保存) には、不可欠な現象ではない。"性交"と"結婚"は、明らかに別現象である。結婚せずに同棲でも、性交は可能 (合法) である。一体何のために、人類だけ「結婚」という制度にかじり着くのだろうか? 憲法を安易に改正 (改悪) する前に、じっくり考えてみよう!
さて、宗教と結婚との間には、ある (密接不可分な) 共通点がある。それは一体何だろうか? 神への誓いによって、「個人の自由」を一生束縛し得る力が潜んでいる。だから、特にカトリック教では、(今でも) 離婚が許されない (英国エリザベス一世の父親であるヘンリー8世は妻を離婚して、別の女性と再婚するために、カトリック教を否定して、「英国国教会」という新しいキリスト教派を発足したという有名な史実がある) 。 実は、神などこの世に実在しない! その昔、(予言者を装う) 誰かが勝手にでっち上げた真っ赤なウソっぱち (神話) に過ぎない。 従って、「仮想の神」に何を誓っても、全く「無意味」ということになる! 宗教の戒律も結婚制度も「為政者が住民を巧みに操る」ために利用している "道具" に過ぎない。
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