「日本女性の基本的人権」を憲法で保証したベアテ・シロタ・ゴードン女史 (19
23ー2012) 死去
終戦後、GHQ民政局のスタッフとして日本国憲法の起草作業に携わり、男女平
等に関する条項を書き上げた米国女性ベアテ・シロタ・ゴードンさんが昨年12月
30日、すいぞう癌のため、ニューヨークの自宅で死去した。89歳だった。
娘のニコルさんは「母は生前、憲法の平和、男女同権の条項を守る必要性を訴え
ていた。憲法改正に反対だったが、この二つ(の変更や削除)を特に懸念してい
た」と語った。供物で弔意を示したい場合は、代わりに護憲団体「九条の会」に
寄付してほしいという。
1923年、国際的ピアニスト、レオ・シロタ氏の娘としてウィーンに生まれた。
作曲家の山田耕筰氏から東京音楽学校(現東京芸大)教授に招かれたシロタ氏に
伴って1929年に来日、約10年間を日本で過ごした。
1939年、両親を日本に残し、カリフォルニア州の名門ミルズ大に留学。米国籍
を取得した。卒業後、米誌タイムの助手として働き、終戦後の1945年末にGHQ
付の通訳・翻訳官として再来日した。
1946年2月、民政局長ホイットニー准将の下、22歳の若さで憲法起草作業に従事。
24条(両性の平等)など人権に関する条項を書き上げる一方、案文をめぐる日本
政府との折衝で通訳を務めた。
1947年に離日。GHQの通訳だった男性と結婚し、ニコルさんらをもうけた。
育児の傍らニューヨークのジャパン・ソサエティーなどに勤務、日米交流を進め
た (東京新聞から抜粋)。
詳しくは「1945年のクリスマス―日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝」
(1995年、柏書房)を参照されたし。市川房枝女史(1893ー1981)
やノーベル賞作家パール・バック女史(1892ー1973)とも交流が深かっ
た。
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