1。神の火とは
題名の「神の火」を「原子力」と誤解している読者が相当いるようだ。 実は、
「神の火」(=Morning) は、「太陽エネルギー」を指す。 旧約聖書の「天地創造」
によれば、神がこの真っ暗な宇宙に真っ先に創造した物が「太陽」であり、この
世に「朝」をもたらした。 この歴史小説の結論は、女主人公「ジェーン・アール」
博士の言葉を借りれば、(核エネルギーに頼らず)太陽エネルギーを駆使/活用
(Command) しよう! つまり、核兵器撤廃、脱原発(原発ゼロ)をめざして、太陽
エネルギーなどの自然に存在するエネルギーをフルに開発しよう、という著者
(パール・バック女史) 自身のメッセージ(願い)をこの表題に凝集している。
2。 「マンハッタン計画」への女性の関与
アメリカ政府はなぜか公式文書では、戦後長らく、原爆開発をめざす「マンハッタン
計画」には、女性は一人も関与していなかったと頑迷に主張してきた。 従って、
原書 (Command the Morning) が出版された1959年の時点では、女性の関与は
(作家パール・バック女史のみが知る)「極秘事項」だった。 しかしながら、実際には、
非常に多くの女性たちが科学者やエンジニアとして、原子炉や原爆の開発に従事して
いたことが、ずっと後になって、色々な出版物(特に回想録など)により、明るみに
なった。 例えば、レオーナ・マーシャル著 「The Uranium People 」 (1979年) など。
彼女はシカゴ大学のフットボール競技場の地下で、1942年12月に史上初の原子炉開発に
成功したチーム中の「紅一点」だった。 従って、小説のヒロイン 「ジェーン・アール」は
作家が勝手にでっち上げた単なる「架空の人物」ではない。 それどころか、女史は
小説というメディア(カモフラージュ)を巧みに使って、一般市民に真実を知らしめる
ために、極秘情報を秘かに提供していたのだ!
実は、原子物理学者エンリコ・フェルミ(1901ー1954)とパール・バック女史は、同じ
1938年にストックホルムで、それぞれ別の専門分野でノーベル賞をもらった。 その折、
フェルミ夫妻がアメリカへの亡命を希望していたので、女史がそれを手助けした。
フェルミ夫人はユダヤ人系だったので、独裁者ムッソリーニが牛耳っていたイタリアでは
生命の危険さえあったからである。 夫妻は受賞後、故国イタリアには戻らず、そのまま
米国に亡命した。
従って、女史とフェルミ夫妻とは非常に親しい関係にあったから、(必要ならば)
女史は戦後、極秘情報を夫妻から入手し得たのだ。従って、フェルミ教授の愛弟子で
あったジョアン・ヒントン(1921ー2010)も レオーナ・マーシャル(1919ー1986)
も、「ジェーン」の実在モデルだったのは、決して驚くべきことではない。 特に、
この小説では(戦後まもなく、核エネルギー研究をあっさり放棄して、祖国アメリカにも
幻滅して、毛沢東の農民革命に共鳴して、中国大陸に永住して、太陽エネルギーに
依存する酪農業を北京の郊外で生涯実践していた)ジョアンの存在は極めて重要である。
そして、この邦訳出版をきっかけに、86才の彼女が車椅子に乗って、次男ビルと共に
2008年に初めて被曝地(広島と長崎)を訪問し、地元の被爆者たちと和解する
チャンスを得たことは、極めて特筆すべき出来事であった。 2年後、彼女は米寿を
全うして安らかに極楽への道を辿った。 「大往生」と言えるだろう。 マンハッタン計画に
従事したスタッフは被曝のためか、殆んど大部分が (白血病で) 早死にしているにも
かかわらず、彼女は極めて例外的に健康長寿を全うし得た。 戦後、彼女がシカゴ大学の
原子力物理学者レオ・シラード(1898ー1964)らと共に、核兵器撤廃運動に精力的に
活動したからかも知れない。。。
米国では1979年に、原発事故 (メルトダウン) を扱う映画 「チャイナ・シンドローム」
(中国症候群) が上映され、話題を呼んだ。 さて、日本では原発企業のずさんさや
暗躍を扱った映画はなぜ制作されないのだろうか?
3。抄訳「原子雲のかなたに」
原書が出版されてから、半世紀近く経って初めて、最初の邦訳が出版されたこと
を不思議がる読者は少なくないだろう。驚くなかれ、実は1961年(原書出版
から2年以内)に(直木賞作家)常盤新平(1931ー2013)による抄訳
「原子雲のかなたに」が小学館の雑誌「高校コース」の付録として、初めて世に出
ていたことが、我々の完訳出版後まもなく、明らかになった。この歴史的抄訳は、
もうこの世には殆んど残っていないが、横浜にある神奈川近代文学館など2、3ヶ
所に、今でも所蔵されているそうである。
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