「言語」とは情報交換のための「道具」の一つに過ぎず、各々の言語に一定の「イデオロギー」や政策など付随していない。聾唖の人々が(「言語」の代わりに)「手話」を使って、意志交換を図るのと同じである。
エスペラント愛好者(世界にわずか200万人、人口3千人に一人の割合)は、エスパラント語の「中立性」を強調したがるが、手話が中立であるのと同様に、いかなる言語も中立である。
英語を話すから、ブッシュ政権のイラク戦争を支持していると誤解するのは、全く馬鹿げている。ジョージ・ブッシュには日本語が全くわからないから、英語で彼の政策を我々は批判せざるを得ないのだ。
ドイツ語を話すと、かの独裁者ヒットラーの「ユダヤ人迫害」を支持していると、ある馬鹿な「イスラエル人」から批判されるのと良く似ている(ドイツの首相メルケル女史がイスラエル訪問中に、彼女の母国語「ドイツ語」で演説をしたところ、そういう馬鹿げた非難を受けたという事件がごく最近、実際にあった! 勿論、同時通訳で、彼女の演説は、地元のヘブライ語に訳されていたのだが)。
私は20年以上昔、西ドイツに学術研究のため数年ほど滞在したことがあるが、ドイツに住む一般大衆とスムーズに会話を交すためには、ドイツ語しかないのだ。我々の母国語「日本語」は、欧米を含めて海外では、全く役に立たないからだ。
戦犯の東条英機が生前、日本語を話していたから、日本国内で、私が日本語を話すと、お前は「ファッシスト」だと批判するひとは、恐らくいないだろう。少なくともそんな経験はまだしたことがない。
「英語」という言語と、英米の「帝国主義」とは、はっきり切り離して考えるべきだ。坊主が嫌いだから、袈裟まで憎むのは、女(あるいは男)の「ヒステリー」以外の何物でもない!
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