我々の産学官共同研究ビルの入り口には、天野浩(LED発明家)の ”人のために” (応用物理学者らしい)。 もし、PAK専攻の薬学者がノーベル賞をもらったら、”難病患者の目線で” という言葉を、恐らくこのキャンパスに残すだろう。
目下、私は、琉球大学に新設した ”PAK研究センター” で、大学院生の研究指導をやっている。癌や認知症など様々な難病に効く(かつ副作用のない) “PAK遮断剤” の開発を目指している。最近、付属図書館で、興味深い本を一冊見つけたので、読書中である。
”石館守三“(1901-1996)に関する伝記である。彼は青森県出身の薬学者で、わが母校(東大)の初代薬学部長であった。 彼は有名な天然物有機化学者であったが、敬虔なクリスチャンでもあった。 天然強心剤 “ビタカンファー” の発見、日本初の合成制がん剤 ”ナイトロミン“ の開発、ハンセン氏(ライ)病の特効薬 “プロミン” の合成などを手掛け、多くの難病患者の命を救った。従って、彼の好きな座右の銘は、おそらく “難病患者の目線で研究をすべし” という言葉であったろうと想像する。
“安価かつ安全な特効薬の早期開発を目指し、科学の粋を集めよ!”
彼はいわゆる “象牙の塔” の学者ではなかったし、利潤を主に追求する製薬会社の研究者でもなかった。私にとっては、梅毒の特効薬 ”サルバルサン“ (化合物606)を開発して、”化学療法の父“ となったパウル=エーリッヒ博士(1854-1915)と共に、石館守三先生は、薬学界の”鏡“である。 もっとも、先生は我々が学部へ進学する数年以上前にすでに定年で退官していたので、我々の年代にとっては、ずっと ”伝説の人物“ だった。
“安価かつ安全な特効薬の早期開発を目指し、科学の粋を集めよ!”
彼はいわゆる “象牙の塔” の学者ではなかったし、利潤を主に追求する製薬会社の研究者でもなかった。私にとっては、梅毒の特効薬 ”サルバルサン“ (化合物606)を開発して、”化学療法の父“ となったパウル=エーリッヒ博士(1854-1915)と共に、石館守三先生は、薬学界の”鏡“である。 もっとも、先生は我々が学部へ進学する数年以上前にすでに定年で退官していたので、我々の年代にとっては、ずっと ”伝説の人物“ だった。
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