著者は1938年に大阪生まれ、京大出身の理論物理学者で、ノーベル受賞者である湯川秀樹や朝永振一郎などの後輩である。修士時代(1961年)に京大経済学部出身の米沢まさ晴と結婚生活を始めた。 大学のエスペラント語クラブで初めて知り合った仲であった。“君の好きな物理と僕との結婚を両立させなさい”という言葉に惚れ込んで、結婚生活を始めたそうである。とても運の良い女性である。もっとも、彼女には、人並み外れた学者らしい才能があったから、この難しい両立に成功したのであろう。そして、研究を続けながら、3人の娘を立派に育て上げた。 私に言わせれば、彼女は、“日本のマリー=キューリー的存在”である。
冒険好きで、しかも寂しがり屋の彼女は、証券会社勤めの夫がロンドンへ海外出張になると、進んで英国の大学への留学を断行して、一年間のハネムーンを楽しむ。帰国後、湯川氏が創立した京大の基礎研に院生(博士課程)として、入所し、世界的に有名な “米沢(CPA) 理論”を確立する。そして、東京勤務になった夫を追って、朝永氏の教育大理学部の助手に就職する。ちょうど朝永氏が1965年にノーベル賞を受賞した直後である。
間もなく、京大に戻り、(狭き門である)基礎研の助手(五年契約)に見事に採用される。以後、東工大で助手、基礎研で助教授を経て、1983年に慶応大学工学部の教授に就任した。1996年には、日本物理学会の会長≪女性としては初めて≫に就任する。その前後に、(35年間、助け合って生きてきた)夫が肝臓がんで急に死亡。 2004年に、定年で慶応大学を退官し、その翌年、ロレアル―ユネスコ女性化学賞を授与される。持ち前の大胆さと辛抱強さを発揮して、日本の女性科学者として“頂点”に達した。
しかしながら、女性が実験科学分野で、これに匹敵するような業績を上げることは、極めて困難である。 (紙と鉛筆あるいは"パソコン"だけで全てが済む) 数学や理論物理の世界では、(最先端の分子生物学と違って)高価な実験装置や試薬などの購入や多数の実験助手に給料を払うために、(他人と競争して)莫大な研究費を稼ぐ必要が全くないからである。豪州のメルボルンで私の弟子として、20年以上に渡って、地道にコツコツとPAK研究を続けている北京大学医学部出身の優秀な女性研究者がいるが、研究費稼ぎで未だに大変苦労している。片や神戸の理研では、ろくに生物学もわからぬ女性が、流行のIPS研究に飛びついて、数億円にも及ぶ研究費を浪費しながら、万能細胞と称する“イカサマ細胞”作りで、ノーベル賞級(?)の業績と、愚かなマスコミにもてあやされ、女性科学者たちの顔に泥を塗るようなことをしでかした。このような実験科学界の“歪み”をできるだけ早く是正する必要があると、私は痛感する。
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