史上初の合成PAK遮断剤である「メチレンブルー 」(MB)は、木綿を染めるアニリン色素の一種である。史上初のアニリン色素「アニリン紫」は1856年、英国ロンドンの学生であるビル=パーキン(1838ー1907)によって合成された。20年後にMBの合成に成功するハインリッヒ=カロは、現在のポーランド領ポズナンで生まれた。ユダヤ系のドイツ人で、アニリン染料の開発をめざして、先ず英国のパーキンの染料会社に弟子入りする。ここで、絹糸を染める「アニリン紫」の合成の改良法をてがけ、本国ドイツに戻って、マンハイムにある現在の化学工業会社の大手「BASF」の初代研究所長に任命される。そこで、有名なアドルフ=フォン=バイヤー (1835ー1917)と共同で、アニリンの誘導体であるdimethylaniline 2分子からMBを合成する。合成法のあらましは次の通り:
先ずdimethylanilineから Nitroso-dimethylaniline
を合成後、それを還元して、p-amino-dimethylaniline
にする。次に2番目のdimethylaniline
と酸化カップリングさせると同時に、thiosulphonic
acid を導入後、酸化反応で、Phenothiazin 環を閉じて、最終産物「MB」を得る。このMB合成法は「ドイツ史上初の特許」として1877年に承認される!
MBはたちまち染料界の寵児となるが、1882年頃から医学の世界でも活躍し始める。ローバート=コッホ(1843ー1910)が結核菌を発見した時、患者の結核感染の有無を調べるために、結核菌の染色に「MB」が初めて使用された。この「MB」染色法を開発したのが、組織染色の専門家 パウル=エーリッヒ (1854ー1915)である。その後、ギムザ染色にも、MBが利用されるようになった。1909年にエーリッヒはアニリン色素にヒ素を結合させて、梅毒の特効薬「サルバルサン」(化合物606)の開発に成功して、「化学療法の父」と呼ばれるようになった。
さて、MBが病気の治療にも応用されるようになったのは、1891年である。エーリッヒらの提唱によって、マラリアの治療にMBが利用し始められ、第二次世界大戦が終了する頃まで、キニーネと共に併用された。マラリア感染にPAKが必須であることが最終的に証明されたのは、ごく最近 (2、3年前) の出来事であるが、驚くなかれ、(プロポリス、MB、苦木由来のGlaucarubinone などを含めて) 古今のマラリア治療薬の大半はPAK遮断剤である。
もし仮にエーリッヒが今世紀の「シグナル療法」時代に生きていたら、アニリン誘導体などから (癌や認知症など難病の治療に役立つ) 様々なPAK遮断剤を次々と開発していただろう。彼に代ってその役目を果たすべき情熱的な若き有機化学者たちの登場が心から待たれる。去る6月、我々有志で、沖縄の琉球大学にて、「PAK遮断剤を中心にした創薬シンポジウム」を開催した。それを機会に、沖縄に世界最初の「PAK研究センター」を設置する計画を進めている。ゴーヤ、ゲットウ、ギンネムなどの沖縄特産の植物中に美白や健康長寿に役立つPAK遮断剤が豊富に含まれていることが判明したからである。できれば、(「MB」の開発元である) ドイツのBASFと提携して、膨大な「合成染料ライブラリー」中から新たなPAK遮断剤をいくつかスクリーニング (発掘) できれば素晴らしいと思っている。。。
もし仮にエーリッヒが今世紀の「シグナル療法」時代に生きていたら、アニリン誘導体などから (癌や認知症など難病の治療に役立つ) 様々なPAK遮断剤を次々と開発していただろう。彼に代ってその役目を果たすべき情熱的な若き有機化学者たちの登場が心から待たれる。去る6月、我々有志で、沖縄の琉球大学にて、「PAK遮断剤を中心にした創薬シンポジウム」を開催した。それを機会に、沖縄に世界最初の「PAK研究センター」を設置する計画を進めている。ゴーヤ、ゲットウ、ギンネムなどの沖縄特産の植物中に美白や健康長寿に役立つPAK遮断剤が豊富に含まれていることが判明したからである。できれば、(「MB」の開発元である) ドイツのBASFと提携して、膨大な「合成染料ライブラリー」中から新たなPAK遮断剤をいくつかスクリーニング (発掘) できれば素晴らしいと思っている。。。
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