新薬の臨床試験で、患者を2群に分けて、一群には「テストすべき新薬」を、他群には薬効のない「偽薬」(プラシーボ)を与え、この2群の間に(統計処理で)薬効の違いがはっきり出れば、つまり新薬を経口した患者群のほうが、偽薬を経口した患者よりもずっと病状が軽くなれば、新薬は有効であるという結論(診断)を下すという、(当世風の)治験のやり方は(科学的には正しくても)「人道的」には明らかに間違っているので、私は強く反対したい。 患者を 「モルモット扱い」 してはならないからだ!
理由は以下の通りである。治験の前に動物(例えば、マウスやモルモットなどを使った)実験で、新薬の薬効が、偽薬より有意に高いことが科学的にはっきり証明されているはずである。 つまり、新薬の効果は単なる心理的(催眠術的)作用ではなく、物理的に薬効があることが実証されているはずである。人類以外の動物には催眠術はかからないからだ。従って、再び(治験で)患者をモルモット代わりに使用する必要は全くないのである。 患者の半分に偽薬を与えれば、薬効は全くないのであるから、医者はその患者をはっきり(意図的に)騙していることになる。 倫理的に許し難い!
私がこのような結論に達したのは、十数年前に、次のような映画シーンに遭遇したからである。一世紀ほど昔、世界中にジフテリアが蔓延して、多くの子供たちが次々に死んでいった時期があった。ドイツのベルリンにある有名な大学病院に40人のジフテリア患者(子供たち)が入院していた。コッホ伝染病研究所で2人の若い研究員(エミールとパウル)が(北里柴三郎のアイディアに基づいて)ジフテリアの抗血清を開発した。そして、モルモットでその血清がジフテリアに有効であることを確認した。そこで、その血清を大学病院にもってきて、40人のジフテリア患者に注射したいと申し出た、ところが(石頭の)病院長はこう言った。
「20人には抗血清を、残りの20人には血清を与えないという条件なら、許可をしよう。 もし、抗血清を得た群だけが有意に病気から回復したら、抗血清の効果を認めよう」。
2人は抗血清を最初の20名に注射し始めた。ところが、20人目の子供がもう死んでいた。 そこで、代わりに21人目の子供に抗血清をやった。 さて、2人は病室を引き揚げようとしたが、ドアのガラス越しに、患者の母親たちの哀願するような目に会った瞬間、病室に引き返して、残りの19名の患者にも抗血清を与えてしまった! それを聞いて(例の)病院長がかんかんに怒った。 翌朝、39名の患者が全部、快方に向かったことが判明した。 話に面白い付録がついた。21人目の少年はなんと 「厚生大臣の孫息子」 だった。 大臣のはからいで、エミールはマールブルグ大学の教授、パウルは新設の "血清研究所" の所長に抜擢された。 この研究所は、今でも「癌研」 としてフランクフルトのマイン川河畔にある。
このジフテリア抗血清による快挙で、2人はのちにノーベル医学賞をもらった。 2人の学者はエミール=フォン=ベーリングとパウル=エーリッヒだった。 この古い映画の邦題は 「偉人エーリッヒ博士」(Dr. Ehrlich's Magic Bullet) !
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