原作の映画(Dr Ehrlich's Magic Bullet) は1940年に米国「MGM」で制作された。ヨーロッパでナチスドイツが侵略戦争を開始した直後である。主テーマは勿論、「化学療法の父」と呼ばれている(ユダヤ系ドイツ人)パウル=エーリッヒ博士の伝記物語であるが、その背景にはヒットラーによる独裁政治(全体主義)に対する強い批判が込められている。この白黒映画は私の最も大好きな作品で、1998年に米国でビデオを初めて入手して以来、何度も繰り返して観ている。私の専門は癌研究、特に新しい抗癌剤(PAK遮断剤=「魔法の弾丸」)の開発研究であるが、この癌研究に専念するきっかけを作ったのは、(大学入試直前に読んだ)エーリッヒ博士の伝記本だった。以来、この映画を実際に観ることが私の長い夢だった。その夢が35年ほど経ってようやく実現した!
主人公 (医者で伝染病学者) の情熱は、(ジフテリア菌や梅毒菌などの) 病原菌を特異的に(副作用なしに) 退治する薬 (魔法の弾丸) をひたすら開発することであった。そのために、梅毒菌スピロヘータに特異的な親和性を示すアニリン化合物をスクリーニングした結果、「606番目」の化合物(サルバルサン)が梅毒の特効薬であることが判明した。 旧約聖書に、羊飼いの少年デビッドが大男(敵の大将)ゴリアテのこめかみを狙い、パチンコの玉(小石)一発で倒す話があるが、この弾がそもそも「魔法の弾丸」の由来である。従って、映画は、ナチスドイツを倒すべき欧米諸国の努力(闘い)をも裏に秘めている。 この映画は、彼の同僚であるエミール=フォン=ベーリングとの友情物語でもある。(秦佐八郎など)博士の弟子たちとの師弟愛も良く描かれている。
更に、彼の賢い愛妻との愛情物語でもある。臨終間際に、愛弟子たちを病床に招き、隣の部屋で妻が静かに弾くピアノ曲に耳を傾けながら、世を去っていく白髪の博士 (61歳) の姿が非常に印象的だった。
夫の死後、ユダヤ人だった夫人は2人の娘と共に、米国に亡命せざるを得なかった。ナチスによる「ユダヤ人迫害」のためである。博士の秘書もユダヤ人であり、英国へ亡命した。そして、この秘書が英国で出版した「エーリッヒ伝」を私が高卒直前に、偶然(神田の古本屋で)読む機会に預かったわけである。勿論、この多才な秘書もこの映画に登場する。映画の脚本は有名な映画監督ジョン=ヒューストンが、この「エーリッヒ伝」に基づいて脚色したものである。
日本人向けの「日本語字幕入り」のビデオが作成される日が待たれる。。。 日本では、この映画は 「偉人エーリッヒ博士」 という邦題で、1941年8月(開戦直前)に初公開された。
http://ucchy.tea-nifty.com/osa/2008/04/99_e398.html
http://ucchy.tea-nifty.com/osa/2008/04/99_e398.html
日本の「抗生物質の父」梅沢浜夫(東大医学部/伝研)教授(「微化研」の創立者)もこの映画を観て、ペニシリンの開発を始めた。 この映画で、伝研から派遺された「秦佐八郎」役を演じた "日系二世" の俳優(堀内義隆)は戦後、梅沢教授の(渡米前の)英語会話の先生を務めた。 なお、梅沢教授は1980年に 「パウル=エーリッヒ」 賞をもらった。
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