人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2010年10月7日木曜日

2010年ノーベル化学賞: 
根岸英一(東大卒)、鈴木章(北大卒)、リチャー ド・ヘック(UCLA卒)

Dr. Ei-ichi Negishi : Herbert C. Brown Distinguished Professor
in Organic and Organometallic Chemistry at Purdue University

Born in Manchuria, China (1935), grew up in Japan and graduated from the
University of Tokyo (1958). He then joined a chemical company, Teijin. In
1960 he came to the University of Pennsylvania on a Fulbright Scholarship
and obtained his Ph.D. degree (1963). He returned to Teijin, but decided
to pursue an academic career. In 1966, he joined Prof. Herbert Brown's Lab
at Purdue as a postdoc, and began investigating various C-C bond forming
reactions of organoboranes. He was appointed Assistant to Prof. Brown in 1968.
It was during the following few years that he began feeling the need for some
catalytic ways of promoting organoborane reactions.

Negishi went to Syracuse University as Assistant Prof. in 1972, and began
his life-long investigations of transition metal-catalyzed organometallic
reactions for organic synthesis. His initial and largely unsuccessful attempts
to develop a Cu-catalyzed conjugate addition or substitution reaction of
organoboranes soon led him to adopt a then novel strategy of considering
all 60 or so non-radioactive metals as components of both stoichiometric
reagents and catalysts. During the 1976-1978 period he published about 10
papers describing the Pd- or Ni-catalyzed cross-coupling reactions of various
organometals including those of Mg, Zn, B, Al, Sn, and Zr. Today, those involving
Zn, Al, and Zr are called the "Negishi-Coupling".

His success in developing the Pd- or Ni-catalyzed alkenylzirconiums was
the beginning of many series of his subsequent investigations of organozirconium
chemistry leading to the discoveries and developments of the Zr-catalyzed
alkyne carboalumination often called the Negishi alkyne carboalumination
(1978- ), the Zr-catalyzed asymmetric alkene carboalumination (ZACA reaction)
(1995- ), and the chemistry of low-valent zirconocenes generated via "Bu2ZrCp2
and other dialkylzirconocenes widely known as the Negishi reagents (1985-
).

He was promoted to Associate Professor at Syracuse University in 1976, and
invited back to Purdue University as Full Professor in 1979. In 1999 he
was appointed the inaugural H. C. Brown Distinguished Professor of Chemistry.


湘南高校出身のノーベル賞・根岸さん、同級生らから喜びの声

神奈川新聞(カナロコ): 10月7日(木)8時15分配信

 根岸英一さんのノーベル賞受賞の報に、出身高校である県立湘南高校(藤沢市鵠沼神明)の同級生や同校関係者からは
同校初の偉業に喜びの声が上がった。

 同級生で親友だったという元茅ケ崎市長の根本康明さん(76)=茅ケ崎市=は同級生からの相次ぐ連絡に
「今夜はなかなか眠れない」と喜びを実感していた。

 根岸さんは部活には参加していなかったが友達付き合いが良く、頭の切れ味が鋭い生徒という印象だった。
2年生の最後の模擬試験で学年1番だったことを覚えている。

 根本さんによると、根岸さんは父親の仕事の関係で旧満州(中国東北部)で生まれ、戦後に大和市に引き揚げた。
実は、同級生よりも1歳若い1935年7月 14日生まれ。旧満州で1年前倒しで小学校に入学し、高校入学時は14歳。
東京大学に入学したのは17歳だったと明かす。

 高校時代から音楽が好きで、総合化学メーカー「帝人」に勤務時代は、ウクレレを鳴らしながら根本さん宅を訪れたことも。
根岸さんが渡米後もしばらくクリスマスカードを交換していた。 「若いころからノーベル賞を受賞すると言っていたが、
今になって本当になった。とても不思議な感じがする」と感慨深げに話した。

 同校の同窓会「湘友会」会長の田辺克彦さん(68)=藤沢市=も根岸さんの受賞に「本人の努力もあったのだろうが、
『湘南教育』がその基礎となったに違いない。卒業生の代表として大変誇らしい」と喜んだ。

 同校では来年創立90周年を迎えるにあたり「校史資料館」の開設を予定している。現在、各界で活躍してきた卒業生の資料などを集めているが、根岸さんの偉業をたたえる展示を急きょ加えるつもりだ。田辺さんは「節目の年に、ぜひ根岸さんに
記念講演をしていただきたい」と話した。

 「学校の誇りだ。大変うれしい」と声を弾ませたのは、同校の川井陽一校長(58)だ。
 6日午後7時半ごろ、テレビのニュースで日本人2人の受賞を知った。その約1時間後、同窓会員から電話が入った。
「受賞した根岸さんは同校OBだ」。慌てて卒業名簿をひっくり返した。1952年度の卒業生の中に「根岸英一」と記されていた。

 根岸さんと面識はないが「同窓が偉大な賞を受賞してくれた。本当にうれしい」。
 「根岸さんは高校3年間で勉学の基礎を固め、高い志を持ち続けておられたはず。生徒にとって大いに励みになる」。
7日には、早速在学生にも報告し、喜びを分かち合うつもりだ。

 根岸さんの妻すみれさん(73)の兄で湘南高校の同級生だった鈴木健次さん(76)=大和市=は
「ノーベル賞は難しいと思っていたので、実現して一族で喜んでいる」と感慨深げだ。

 「(根岸さんは)高校のテストでは常に2番以上だった。大学を卒業して帝人に就職したが、本格的に勉強したかったのだろう。すぐに米国に留学した」。思い出を振り返った。

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本年のノーベル化学賞を根岸さんがもらったことにより、我が母校「東大」出の自
然科学者で、ノーベル賞を得た人物は、ようやく合計4人になったが、既に5名
の自然科学者がノーベル賞に輝いている「京大」出には、まだ及ばない。

さて、京大出の大部分は、医学賞の利根川さんを除けば、受賞の対象になった業
績は全部、京大あるいは日本国内でなされた研究だった。ところが、東大出の場
合は、小柴さん(物理学賞)を除けば、江崎さん、南部さん、根岸さんは皆、海
外(米国)で挙げた業績が受賞対象になっている。いいかえれば、東大構内では
ユニークな研究をするのが極めて困難だが、京大では、それが割に容易にできる
ことを物語っている。この歴然とした事実を、若き科学者は良く肝に命ずべきだ
ろう。

さて、東大出で、医学賞をもらった研究者はまだ「ゼロ」である。将来、(恐ら
く海外で)誰が医科学の分野で受賞に値いすべきユニークな研究をなし得るかが、
楽しみである。。。 

2、3年ほど前に一度ふれたこともあるが、(私が永住する)豪州では、7名も
の医学者がノーベル賞を戦後もらっている。人口が日本の僅か6分の一に過ぎな
いということを鑑がみると、これは驚異的な現象(月とスッポンの差)であろう。
日本人では、医学賞をもらったのは、僅か一人(利根川さん)だけ、しかも海外
(欧州)でやった研究に対するものである! 「猿真似」根性から、日本の医学
/生物学者が一日も早く脱却せねばならない。。。

2010年10月5日火曜日

体外受精(IVF)の開発はノーベル医学賞に値いするか?

今年のノーベル医学賞が意外にも、英国のロバート・エドワーズ(ケンブリッジ
大名誉教授、85)に贈られることになった。受賞理由は「体外受精技術の開発」。
1978年に、世界初の体外受精児「ルイーズ・ブラウン」を誕生させることに
成功した。体外受精(IVF)は、女性の卵巣から卵子を取り出し、精子を加え
てできた受精卵(胚〈はい〉)を、子宮に戻す技術。以後、世界で400万人以
上のIVF児が誕生しているといわれている。

しかしながら、正直な感想を述べるならば、我々分子生物学者の間では、この受
賞にかなり冷やかな反応が隠せない。なぜだろうか?

その理由の1つは、幹(ips)細胞の開発による再生医学研究で、昨年ラスカー賞
(基礎医学)を受賞し、ノーベル医学賞の「最有力候補」と噂されていた京大医
学部の山中伸弥教授(48)が今年は、受賞の選外になったからだ。 まだ若く健
康はつらつな山中教授は、ひと先ず高齢で病床のエドワーズ教授に、席を譲った
格好になった。。。

さらに、私見を述べさせてもらえば、高価な体外受精(IVF)までして、子供
を産む必要は全くない気がする。世界には、60億以上の人口が溢れており、特
にちっぽけな島国「日本」では、一億2千万の人口が所狭しとひしめき合ってい
る。もっと人口を減らし、一人一人の生活水準(QOL)を上げることの方がずっ
と重要であるように思える。子供が欲しいが不妊ならば、世界中(特に、東南ア
ジア・アフリカ)に溢れている戦争(難民)孤児の一人を養子や養女として、我
家で育てればよいのだ! 従って、「IVFの開発は、ノーベル医学賞には値い
しないのではないか」というのが、分子癌研究者としての、私の率直(あるいは
素朴)な感想である。

ところで、堕胎を含めて「産児制限」を一切禁止しているローマ法王を始めカトリック
教会は、今回のIVF開発者に対するノーベル医学賞授与を非難していると聞いた。
体外受精は自然ではない(人工的である)という素朴な理由からである。
しかしながら、(多産の)カトリック社会のごとく、(人口12億の)中国を含めて世界中が
産児制限を辞めたら、地球上は人口過剰になって、人類ばかりではなく、他の
哺乳類も食料不足のために、ほとんど餓死してしまうだろう。従って、無神教
(科学者)の私は、カトリックの肩を持つ積りは毛頭ない! だいたい、カトリックは
ガリレオ・ガリレイを始め「先見の明」のある多数の科学者を弾圧してきた。
いわば、「科学(理性)の敵」である。 

考えようによっては、人類自身の破滅を導きかねない「無制限な」人類の繁殖を
未然に防ぐために、自然が我々に与えてくれた巧妙な制御メカニズムの1つとして、
「不妊」(結婚夫婦の約1割)という現象を位置付けることもできる。産児/育児
などごく平凡な日常活動に携わる代わりに、(人類特有の)より知的な活動(例
えば、自然科学の研究)に女性を専心させることができれば、人類のQOLは
一層高められるだろう。。。

因みに、線虫では、PAKというキナーゼ活性が高過ぎると多産、短命になる。
また人類では、このキナーゼの活性が高過ぎると、知能の発達を抑制したり、
癌が発生しやすくなることが知られている。従って、「不妊 」(あるいは「少子化」)
の原因が、「PAKの不活」にあるとすれば、逆に「不妊」は知能の発達、
抗癌作用、健康長寿を増強している要因となることが容易に想像されるだろう。
「IVF」(産児/育児)よりも「知的活動」を選択する方が、ずっと賢明に違いない、
と私は思う。