人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2017年12月25日月曜日

「塩野七生」(1937年7月7日生まれ) :
古代ローマ人やギリシャ人を描く歴史小説家

最近80歳に達して、(「ルネッサンスの女たち」を皮切りに) 半世紀に渡る (ローマでの) 執筆活動に終止符を打つと宣言したユニークな女流作家。 日比谷 (高校) 時代には、庄司薫と同期生だった我々の先輩。同期生の半分近くが東大へ進学していた(古き良き) 時代に、学習院大学文学部で哲学を勉強した変り者 (豪傑) の一人。

大学卒業 (1960年安保反対闘争) 直前、就職活動を (一生に) 一度だけしたという。書類審査ではパスしたが、面接では不合格。理由は、試験官に「タイプはできますか?」と問われ、「ノー」と答えたそうである。 「それでは、一体何ができますか?」と問われ、「数ケ月、会社に勤めれば、自ずから何ができるか分かるでしょう」と答えたという。

結局、イタリヤへの遊学を決意、ローマに永住して、とうとう作家で大成功した。 フローレンス大学に勤務していたイタリア人医師 (シモーネ) と結婚し、息子 (アントニオ) を産むが、夫とは後に離婚し、独身ママで息子を立派な作家に育て上げる。

2013年の東北大震災後 、評論「日本人へ: 危機からの脱出編」(文春新書) を出版し、"辛口" に日本の復興を激励したそうである。進歩的な平和主義者 (哲学者) であった"安倍能成 " (安倍普三とは「無縁」!) が院長を務めていた学習院で、「やせたソクラテス」などの古典哲学を学んだはずの塩野さんは、1937年6月生まれの (比較的進歩的な) 小渕恵三首相 (早稲田卒) とは親しかったそうだが、「太った豚 」(安倍総理) の軍国主義的な政策には、かなり批判的であったと推察される。

 ボブ=ケネディー司法長官と小渕恵三との出会い:  

小渕恵三 (25) は1963年1月、独りで世界旅行に出発。当時、アメリカ統治下にあった沖縄から、台湾、タイ、パキスタン、インド、セイロン(現スリランカ)とアジアをめぐり、中東、アフリカ、ヨーロッパから北米、そして南米と、訪れた国は38カ国におよび、9カ月間の大旅行になった。
      
旅のハイライトは、ワシントンでのボブ=ケネディ司法長官との会見。実は、前年の2月、ボブ=ケネディが来日した際、早稲田大学の大隈講堂での講演を聞いた小渕青年は、そのときの感激を、長官宛ての手紙にしたためた。そして、長官秘書から電話がかかってきた。「長官が会うそうです。司法省に来てください」。翌日、司法省を訪れた小渕青年は、ケネディ司法長官から「私の講演を聴いてくれてありがとう。これからは君たちの時代だ。政治家になったら、ワシントンで会おう」と温かく歓迎され、兄のジョン=ケネディの大統領当選を記念したネクタイピンまでプレゼントされた。

そのフランクな態度に感動した小渕青年は、「政治家になっても、分けへだてなく誰にでも会おう」と決意した。こうした経験が政治家・小渕の原点になっていた。丁度同じ頃、塩野女史 (25) はイタリアへの独り旅 (武者修行) を始めた。。(私の推察では) これは「単なる偶然」ではなさそうである。高田馬場と目白は山手線で隣駅同士!

松山中学時代から英語が得意だった安倍能成は (家庭の事情で) 中卒後一年間、母校の英語教師を勤めて家計を助けた。その後、一高に進学し、東大文学部時代には、「一中」(「日比谷」の前身) 出身の大作家「夏目漱石」の門下生の一人になった。「坊っちゃん」の舞台になる松山中学は、夏目も安倍も一年間だけ英語教師をしたことがある田舎の「有名」中学である。従って、夏目-安倍-塩野というユニークな人脈が塩野さんを、最終的に「作家の道」へ導いたという可能性がある。

 塩野 七生 (著) 「ローマ人の物語 (1) :  ローマは一日にして成らず」 (新潮社, 1992) は、2017年の「Amazon ランキング大賞 」に輝く!


J. Cell Signal. (2018):  Commentary
Hiroshi Maruta, PAK Research Center, Melbourne, Australia. 
 (「PAK」時代到来:  発見から丸40年)

2017年12月18日月曜日

ロシア革命から丸100年: 日本の「共産党」は一体なぜ、党名を変更しないのか?

 http://www.asahi.com/articles/ASKDD4J24KDDUTFK00N.html?iref=comtop_list_pol_n05

 特に無党派の進歩的な有権者大半は、「共産党」という旧態依然とした党名に、ひどく抵抗 (違和感) を感じ続けている。1917年のロシア武装革命や1949年の毛沢東 (中共) 革命を想起させるからだ。 「共産主義」など、21世紀にはもう通用しない! 既に絶滅した「 恐竜的」な存在である。 マルクス=レーニン主義からも「毛語録」からも脱皮する必要がある。党の政策には同意できるが、あの党名は頂けない! そう思って再三、党名を改めるよう、助言しているが、一向に耳をかそうとはしない。なぜだろうか?   一口にいえば、「しい」委員長は、逆に「いし」(石) 頭だからであろう。 党名を変えるためには、委員長の「首の挿げ替え」が、先決であろう!  もう少し頭の柔軟なかつ、より「カリスマ」的な人物が党を率いるべきである。 「社会大衆党」という党が沖縄に存在する。 それに順ずるような党名が、21世紀の革新政党に相応しいと、私は思っている。

2017年12月7日木曜日

新着 (教育) 映画 「クリスマス=キャロル」:
The Man Who Invented Christmas

毎年12月に入ると、西欧では、クリスマスツリーのイルミネーションが夜の街並みを彩り、デパートが本格的にクリスマス=セールを始める。クリスマス(降誕祭) は本来、キリスト教の祭日であり、救世主「イエス=キリスト」の誕生日(12月25日)を祝う日である。今から2千年以上昔、(古代ローマ帝国支配下の) ユダヤ/パレスチナのベツレヘムという町の貧しい馬小屋で、マリアを母として、一人の男子が生まれた。(実際の) 父親が誰だったか未だに不明(謎)だが、ヨセフという青年が父親代わりを果たした。 聖書には、マリアは「処女」で子供を産んだことになっているが、実際 (生物学的) にはありえないことであり、ヨセフ以外の誰かが、性交をしたに違いない。聖書では、神(エホバ) からの「精霊」でキリストが誕生したことになっているが、そんなものは実在しない。大体、神などこの世に実在しない! 

キリストは30歳を過ぎてから、予言者となり、父 (エホバ) に基づく「キリスト教」(人類平等、博愛主義) を説き始め、最終的には、"異端者" (支配者ローマ人と被支配者ユダヤ人は共に、平等な権利をもつべきと唱える "平和的" な革命家) としてローマの兵士達により逮捕され、(13日の金曜日に) 十字架上で死刑に処せられる。聖書によれば、3日後に甦り天国に昇天する。この日を祝って、「イースター」(復活祭) という祭日ができた。

江戸時代、日本の「キリシタン」 (キリスト教徒) が弾圧された理由は、(「江戸幕府と庶民が平等の権利を持つべき」という) 言わば "革命的な" キリスト教精神の普及を、幕府が非常に恐れたからである。従って、改憲 (憲法9条改悪) を「踏み絵」にして、「護憲派」を排除した新党「希望」の幕府的な遣り方は、庶民 (無党派) から反発を買うのは当然である! 

さて、 (はるばる北極からそりに乗って、貧しい子供たちに贈物を届けに来る)「 サンタクロース」のお爺さんが登場する「クリスマス」は一体いつごろから始まったのだろうか。新着の映画「クリスマスを発明した(産んだ)男」によれば、19世紀の中頃 (大英帝国ビクトリア王朝の黄金時代、産業革命による機械化が進み、多くの手工業者が失業に苦しんだ時代) 、英国の有名な作家チャールズ=ディッケンズ  (1812-1870) が、「クリスマス=キャロル」という童話 (1843、「黒船」来訪より10年前) を書いて、ケチで貪欲な「スクルージュ」という老人がある日改心して、貧しい子供達に贈物を届けるようになったエピソードを描いて以来、今の "クリスマス" という習わしが誕生する。この映画で、「スクルージュ」役を演ずるのは、「サウンド オブ ミュージック」でオーストリアの海軍キャプテンを演じた名優「クリストファー=プラマー」である。子供 (中卒以上) にも大人には楽しめる作品である。

今日、クリスマスは本来の目的を逸脱して、余りにも商業化している。この映画は我々に、クリスマスの (宗教の枠を越えた) 本来の目的 (貧しい子供達への思いやり) を喚起する意味でも、観賞に値いすると、私は思う。

蛇足だが、豪州では、クリスマス=シーズンは真夏なので、サンタクロースは "ジェット=スキー" か "サーフィン" で、南極からやって来る。メルボルンでは (客入りの少ない) 月曜日に、半額 (子供の料金)で映画がみられる。だから、我々 "隠居老人" 達は、月曜日に孫達同伴で、子供向きの映画を観賞する習慣になっている。

2017年12月2日土曜日

SF 小説: 無限かつ永遠の宇宙

「宇宙は (時間においても空間においても) 無限なり」という結論を出して「フィールド賞」をごく最近もらった在英の数学者、寝屋川 寛 (ひろし) 博士は、ちょうど40年前に米国の首都ワシントンの郊外にあるベセスダで誕生した。母親は大阪出身の植物学者、父親は東京出身の薬学者。不思議にも寛の両親は未婚の同棲夫婦だった。「男女の結び付き」は、本人同士の自由意志に従うべきで、「法律や宗教によって制約されるべきではない」という両者の進歩的な考え方による。 更に (母親の希望に従って)、息子は母親の苗字を受け継いだ。 母親は、数年、大阪にある実家の両親の下で息子を育てた後、父親が勤務する英国のケンブリッジ大学のMRC 分子生物学研究所 (シドニー=ブレナー所長) の助手として採用され、寛を連れて英国に永住した。

父親は、ブレナー研究室で、線虫を実験材料にして、寿命の分子生物学を研究していた。線虫の平均寿命は実験動物の中で最短 (2週間前後) なので、例えば哺乳類で最短の寿命を持つマウス (2-3年) に比べて、実験結果がずっと早く得られる。父親の性格自身は柔和だが、ごく短気なので、マウス実験には向いていない。 ある日、夫婦は、紫外線照射を受けた線虫の中に、耐熱性の変異株 (ミュータントR689) を見つけた。一般に、耐熱性のミュータントは、野生株より長生きする。そこで、夫婦はR689株の寿命を調べてみた。 野生株より6割ほど長生きすることが判明した!  人間の平均寿命を80歳と想定すると、その6割 (約50歳) 余計に長生きする計算になる。 この長生き株と野生株のゲノムを比較してみると、たった一つの遺伝子に (機能欠除をもたらす) 変異が起こっていることが判明した、その遺伝子は「PAK」と呼ばれる遺伝子で、哺乳類では、発癌作用があることが知られている。実は、この遺伝子は原始的な土壌アメーバにも存在し、平滑筋などのミオシンを燐酸化する酵素 (キナーゼの一種) を産生する機能を持つ。ミオシンの活性化により、血管壁の平滑筋が収縮すると血圧が高まる。 線虫の実験で、PAKが「寿命を縮める悪玉キナーゼ」でもあることが判明したわけだ。

さて、息子(寛) は、冥想型で、実験科学には余り興味を示さなかった。 イートン校を卒業して、最寄りのケンブリッジ大学の数学科に進学した。指導教官は、父親の友人であるラルフ教授だった。 ラルフ教授は米国のボストン生まれで、若い頃、豪州のメルボルンで育ったというユニークな経歴を持つ。 ラルフ教授は極めてリベラルな思想の持ち主だった。ラルフ夫人はメルボルン大学時代の同級生で、IT (コンピューター) の専門家だった。 ラルフ家と寝屋川家とは、近所同志だった。「 隣の花は美しい」という喩えがあるが、寛には、近所に住む鋭敏なラルフ夫婦の方が、ずっと輝かしく見えた。 それにラルフ教授には、実はギリシャ系の血が4分の1 ほど宿り、ハンサムだった。 ラルフ教授の母親も数学者で、元々はエジプトのカイロ生まれだが、米国人の生物学者と結婚して、産れた4人の子供の末っ子がラルフ教授になった。

寛の母親からの話によると、寛の母方の伯父も有名な数学者だったそうである。従って、寛の数学の才は明らかに、母親からの遺伝子によるようだ。父親は明らかに算数や算盤には長けていたが、数学のような「垂直思考」は苦手だった。 父親の長所は、進化論で有名なダーウインのような「水平思考」だった。 線虫の寿命を縮めるPAKは人類でも同様な機能を持つはずであるから、「PAK遮断剤」を開発すれば、人類の健康寿命も延ばすことができると発想した。そして、最近、強力な「PAK遮断剤」を開発するのにとうとう成功し、特許を取得した。

寛は狭い地球上の話よりも、より広大な宇宙について、考えてみるのが好きだった。そして、遂に彼は、「宇宙は (時間においても空間においても) 無限なり」という結論に達した。人類の寿命は「PAK遮断剤」により延長することはできても、恐らく200歳を越えることはなかろう。しかしながら、(人類全体が滅亡した後にも) 宇宙自身は限り無く膨らみ、永遠に存続するだろう。フィールド賞の受賞演説を、寛はそう結んだ。

聴衆の一人が最後にこう質問した。「宇宙は永遠でしょうが、神の存在はいかがでしょうか?」。寛はそれに答えて、キッパリ言った。「旧約聖書には、神が人類(アダムとイブ) を創造したと印してありますが、実は逆に、万の神は (迷信深い) 人類が勝手に想像/創造した産物です。その証拠に、猿や科学者は神など全く信じていません。だから、人類の滅亡と同時に (神々と "宗教" 戦争は) 速やかに消滅するでしょう。」 (完)