人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2009年8月18日火曜日

短篇小説「日照権」

終身刑の囚人が、市の郊外にある我々の刑務所へ護送されてきた。小柄な細見の
老人だった。多少前こごみ気味だったが、しっかりした足取りで護送車から出て
きた。髪はほとんど真っ白だった。罪状は、自分が引っ越しを予定していた新居
の広い裏庭のすぐ真ん前(北側)にある2階建てのアパートを爆破し、一人の死
傷者を出したとのこと。我々が住むこの大陸は南半球にあるので、太陽は東から
出て、北側を回り、西に沈む。

6週間ほど前、老人はふいに一通の手紙を市役所から受け取ったそうだ。
「マッコル街8番地にあるアパートを3階建てに改造する工事の申請書を2週間
前に受け取った。もし、この工事に反対する者があれば、明日までに文書をもっ
て、市役所に異議を申し出ること」という内容だった。
老人には、マッコル街の拡張工事と自分が一体どんな関係にあるのかがすぐ呑み込め
なかったが、しばらくして、6週間先に引っ越し予定の自分の新居の直ぐ裏
にあるアパートが、「マッコル街8番地」に当たることに気づいた。老人はかん
かんに怒った。あの陽当りのよい広い庭で、ミツバチの好きな芳香の草花を植え、
養蜂を始めることを余生の最大の楽しみにしていたからだ。3階建てのアパート
は、確実に自分の新居の庭を暗くし、さらに新居の屋根に取り付ける予定の(湯
沸かしに利用する)ソーラーパネルの効率を損うのは明らかだった。早速、老人
は市役所宛てに、この拡張工事計画を却下するよう、要請書を提出した。

間もなく、老人の下宿(仮住い)に市役所からの返事が届いた。
「この工事に反対するのは、あなた独りなので、市はこの工事計画を承認するこ
とに決定した」
そこで、老人は、新居への引っ越しを取り止め、この新居の売却をキャンセルし
て、現在の住人(家主)へ「担保」として前払した350万円分を取り戻すため、市
役所あるいはアパートを経営する不動産会社に対して、同額の慰謝料を支払うよう、強く
要求した。しかし、その要求もあっさり却下された。そこで、老人はある計画を
立て始めた。マッコル街には、現在アパート群が6番地、8番地、10番地、12番地と
続けて並んでいた。いずれも2階建てだった。8番地が3階建てになれば、残り
のアパートも遅かれ早かれ3階建てに拡張されるのは、明らかだった。日照権の
侵害はさらに深刻にある。
「拡張工事に反対して、もし、8番地のアパートを爆破したら、どうなるだろう
か?」 
老人は「短気は損気である」ことを良く承知していた。しかし、手遅れになる前
に、やるべきことはしなくてはならない!
老人はある日、そのアパートにダイマイトを仕掛けた。アパートの住民たちに退
去を通告してから間もなく、アパートが木っ端微塵に吹き飛んだ。ところが、
不幸にして、難聴の老婆が一人逃げ遅れて、壊れたアパートの下敷きに
なって死んだ。老人は、家を買うために自分が一生をかけて貯めたお金を全部、
その遺族に支払った。老人には、もはや家を買う必要がなくなったからだ。

老人は我々の刑務所で、その一生を平和に過ごす機会を得た。この国には、死刑
が廃止されてから、もう何十年にもなる。温和しい老人は、やがて、刑務所内の
中庭にある花壇の管理を託された。数年後には、念願の養蜂を始めることも許さ
れた。老人は、この新しい「安住の地」で、長い「さまよえるオランダ人」の旅
をやっと閉じることができた。やがて、この老人の指導下に我々の刑務所の囚人
たちが生産する良質かつ廉価な蜂蜜やプロポリスが世界中に普及する日が訪れる
かもしれない。

私もこの刑務所の住人である。この刑務所はその昔、死刑囚を主に監禁していた施
設である。歴史的に有名な「ネッド・ケリー 」という英雄もここで最期を遂げた
といわれている。1967年に死刑制度が全廃されて以来、ここは終身刑囚人た
ちの安住の地になった。私もここの生活はもう長い。既に10年近くになる。囚
人の中には、ごく稀れだが、無実が晴れて、20数年ぶりに「しゃば」へ解放され
ていく者もいる。その時は刑務所あげてのお祭り騒ぎだ。囚人ばかりではなく、
監視たちも一緒になって、なごりを惜しんで送別会をやる。しかし、それは10
年に一度あるかないかの稀れな出来事である。大部分はここの独房でさびしく一
生を終える運命にある。私の独房番号は13番、なんと隣の独房14番に、あの
新参の老人が入居することになった。その奥の独房15番はまだ空き家のままだっ
た。そこで老人への歓迎会を私が引き受けることになった。老人はユーモアの持
ち主で、我々が着ている横縞の囚人服は、丸で「ミツバチ」の服装のようだと形
容した。そこで、有名なミツバチ「マーヤ」にちなんで、老人を以後「マーヤ」
という愛称で呼ぶことにした。

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