人々の “健康促進” のために!

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2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2018年4月8日日曜日

柴岡名誉教授 (阪大) が奈良県内で "消息不明"!

関西に住むある知人仲間から、彼らの先輩である阪大植物学の柴岡名誉教授 (84)が、去る3月17日以来、行方不明になっているというニュースを受け取った。奈良生駒山系の一つ、 信貴山 (海抜400m 強) に、後輩の学生たちと 登山中、体調が悪くなったので、早めに独りで下山したが、帰宅していないことが判明し、捜索願いが出され、最寄りの警察らが警察犬などを使って捜索中であるが、事件後3週間経った今でも、行き先が不明のままであるという、世にも不思議な事件!  我々としては、 教授の無事を祈るのみである。彼は東大理学部植物学科出身だそうだが、その昔、阪大の神谷教授の後任として、阪大に赴任したそうである。最新の警察情報によると、12時13分 (3月17日) に、奈良県天理市内のJR桜井線 "柳本駅" の改札口を一人で出た柴岡さんの姿が防犯カメラに写っていたとのことで、街中までは無事に戻っていたが、その後の (吹田にある自宅までの) 足取りが全くつかめないのが現状だそうである。

楽観的観測:  「京阪神鉄道路線図」で見る限り、(常識的には) JR桜井線「柳本駅」は、信貴山から (自宅のある) 吹田への帰路からは大きく外れており、柴岡さんは、独りで奈良県内を漫遊 しているという印象。多分、1-2カ月後に、自宅にひょっこり戻ってきて、周囲が大騒ぎしているのに、びっくり仰天するのではないだろうか。  我々 (独り住まい) も、この件を「他山の石」として、周囲に余計な心配をかけぬよう、連絡を密にすべき。 

実は、私自身も二度ほど行方不明になったことがある。

最初は、終戦直後のこと。東京の中野区江古田村 (私の生地)に住んでいた頃、父に連れられて、近くの畑地に出かけた時のこと。私が4-5歳の頃である。父が畑地の耕作を終わって、昼飯にしようと辺りを見回したが、息子である私の姿が忽然として消えていた。(私は退屈しのぎに辺りを歩き回っている内にとうとう迷子になったようだ)。 日暮れになって、その畑から5キロほど離れた隣村の駐在所の巡査に保護されて、無事帰宅した。その時以来、私は自分の足腰の強さに自信を持ち始めたが、母から、「自宅の住所」を厳しく暗誦させられた。 「江古田1-242 」というのが、当時の住所だ。70年後の今でもハッキリ憶えているが、その住所は、その後の区画整理で、とうとうなくなり、しかも、本人は目下豪州に永住しているので、この昔の記憶はその機能を全く失ってしまった!  

2度目の迷子は、35年ほど昔のこと。 西独ミュンヘン郊外にある "Max-Planck 研究所" に勤務していた頃。 私の院生の中にフライブルグ大学卒業の女性がいた (実は、あの悪名高き「壁」が出来る直前に、東ベルリンから亡命してきたそうだ)。ある晩夏 (紅葉の始まり) 、彼女の実家がある (スイスやフランスとの国境に近いライン河畔) フライブルグに初めて遊びに出かけた。近くの「黒い森」(Schwarzwald)  と呼ばれる原始林の小山  (ピークは海抜1500 m) に、彼女の同級生数人とハイキングに出かけた折、見晴らし台の近くで一行が休んでいる内に、野ションのため、私が脇道にそれた折、方向を見失って、仲間とはぐれてしまった。とにかく、下山すれば、どこかで、一行に再会できることを祈って、ひたすら山を駆け下った。幸い、2-3時間ほどしてから 、麓で一行に再会できた。 若い頃の話で、幸い無事に終わったが、80を過ぎたら、どうなるかわからない。。。

 この消息不明 (神隠し) 事件は、見方によれば、1972年に出版された (和歌山出身の) 有吉佐和子の名作「恍惚の人」に似ている。小説のごとく、無事に 保護される (帰宅する) ことを祈る外あるまい。 本人が認知症にかかり始めていたかどうかは不明だが、我が恩師である水野伝一(名誉) 教授は、80歳前後で認知症にかかり、昨秋、97歳で大往生した。3年程前に97歳で他界した我が母は、死の直前まで、(体力は明らかに衰弱していたが) 頭だけはハッキリしていて、認知症の気配は全くなかった。

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