人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2011年3月15日火曜日

連鎖反応:「巨大地震」ー「大津波」ー「死の灰」? 

「天災は忘れた頃にやって来る」という表現は、夏目漱石の弟子として知られる
物理学者、寺田寅彦(1878~1935)の名言だといわれている*。 実際、今回の巨大
地震 (平成「三陸沖」大地震) は、その言葉を見事に証明したかのようにやって
来た。関東大震災が東京を襲ったのは、1923年、今から90年近く前のこと
である。この大地震を体験した人々(生存者)の多くは、既に他界している。
1906年京都生まれの我が父は9人兄妹の末っ子で、当時17歳(「京大」受験
前の「甲南」高校生)だったが、老いた母親を背負いながら、屋根から瓦が降っ
て来る中を、安全な場所へ避難したそうである。その父も20年以上前に他界し
ている。

我が母は、1918年神戸生まれで、当時まだ5歳だったから、その地震につい
て、どれだけハッキリ憶えているか定かでない。母は、今回の巨大地震を、93
歳の誕生日直後に迎えた。母は「健康長寿」に恵まれ、ごく最近、自宅の玄関で、
バランスを失って、コンクリートの地面にどっと倒れ、左膝小僧を強打/負傷す
るまでは、近所にある病院で年寄りや障害者の世話をするボランチアとして、週
に2回ほど元気に働いていた。今回、仙台付近で「巨大地震」が発生した時には、
実家で杖を頼りにやっとフラフラ歩ける状態で、外出していなかったので、幸い
無事だった。。。 「不幸中の幸い」とは、母のような例を差すのかもしれない。。。
神様のお恵みだと感謝している。

しかしながら、三陸沖海岸線に住む漁民たちの多くは、巨大地震の直後に襲って
きた高さ10メートル以上の大津波に、あっという間に呑み込まれ、命を落とし
た。その数、2万人を超えるといわれている。これらの犠牲者たちには、大変お気の
毒なことである。ご冥福を心から祈りたい。。。 今回の巨大地震には、(戦前の
地震には想像できなかった)新たな災害の要素(人災)が「おまけ」に加わった。
福島にある東電経営の「原発」(原子力発電所)が、地震に伴う冷却水ポンプの
停止により、過熱され爆発を連鎖的に起こしている。原子炉の「メルトダウン」
も時間の問題となりつつある。被曝を避けるために、半径20 km 以内に住む
住民全員に、避難勧告が既に出ている。。。

原子炉の寿命は通常25年といわれている。福島の原子炉は何んと40年もたった
老朽施設だ。 即「ポンコツ処理」すべきだ!  

30年ほど前に、当時まだソ連領内だったウクライナの原子炉が大爆発を起こし
て、付近一帯に強力な放射能をまき散らし、多くの被爆者、死者を出した。その
「二の舞」はもう御免だ! この原子炉付近は、以後100年近く、人畜が住め
ない「廃虚」に化した。最近、一部が「原発事故の博物館」として、一般観光客
に開放されつつあると、風の便りに聞いている。 広島や長崎にある原爆記念館
の「欧州版」だろうが、日本列島には、このような記念館はもう必要ないと思う。。。

福島原発事故 (メルトダウン) の発生から間もなく、ドイツの地方選挙で、長らく
保守党の地盤であった少なくとも2州で、原発廃止を唱える「グリーン党」が大
幅に躍進し、保守党政権に大打撃(ショック)を与えた。 さて、「地元」日本の
来たる地方選挙では、一体何が起こるだろうか?

無責任な原発経営者 「東電」 に対する地元住民たちの怒りは、日々募るばかりだ!
まず、チェルノブイリ原発と同様、老朽化した福島原発の閉鎖 (廃炉措置) は必至である。

原子エネルギーに代わるべき「太陽エネルギー」や「風力エネルギー」など豊富
な自然エネルギーを駆使する、あるいは莫大な「地震/津波エネルギー」を逆手
に利用するような英知を真剣に導入する時期が今、正に来ている。

原発の「メルトダウン」がもたらす「死の灰」を避けるため、「民族の大移動 」
が次第に始まっている。福島の住民は首都圏近くへ、首都圏の住民は関西地方へ、
そして、東電や日本政府の言動に確信をもてない外国人移民は日本国外 (母国)
へ、各々より安全と思われる地域に避難を開始した。もっとも、同じ「地震国」
ニュージーランドから来た移民は、安全な逃げ場を失った感がある。。。

今回の大災害を「天罰」だと解釈している者もいる。戦争中、中国大陸、朝鮮半
島、東南アジアなどで日本軍がやった残虐行為の犠牲者たちは、そう感じたかも
しれない。韓国や中国では、今回の災害の犠牲者たちを救済/援護する募金運動
が各地で始まっているという明るいニュースを風の便りに聞いている。今回の不
幸が日韓、日中の関係改善に資すれば「不幸中の幸い」と言えよう。。。


*寺田の随筆に「津浪と人間」というのがある。1933年、三陸沖でM8.1の昭和
「三陸」地震が発生、大津波で3千人以上の犠牲者が出た。実は、その37年前の1896年、
同じ三陸沖でM8.5の「明治」三陸地震が起き、大津波で2万人以上の死者が出て
いたのに、その教訓が忘れられていたのではないかという内容である。災害直後
には詳細な調査がなされ、災害予防策が策定されるが、そのうち忘れ去られ、人々も
「津浪に懲りて、はじめは高台だけに住居を移していても、5年、10年、15年、20年と
経つにつれ、いつの間にか低地を求めて人口は海岸線間近かに移って行くだろう」

と手厳しく書かれている。 2年後に、この名言を残して、寺田は癌で他界した。

「喉元すぐれば熱さ忘れる」という諺もある。世代が代わると記憶が薄れるようだ。
「戦争」についても同様の健忘症がある。戦後65年以上を経て、苦い戦争体験
をもつ世代がこの世から消えて行くにつれ、「再軍備」を高らかに唱え始める不
貞の輩が増えてくる。。。

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