人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2010年4月7日水曜日

NF患者「Denise Terrill 嬢」 (32) の死を悼むと共に、彼女の闘病が
原動力 となった「NF研究補助基金キャンペーン」に深く感謝する!

http://www.deniseterrillclassics.com/DTC/Denise.html

米国 Texas 州 Dallas 近郊にあるPlano という町で、NF2のため全身麻痺、
12年間 (寝たきりの) 闘病生活を続けながら、NF研究補助基金 (Denise Terrill
Classic Charity, DTCC) キャンペーンの原動力として活躍していたデニス・
テリル嬢 (32) が昨年の夏、その長い「務め」を終わり (NF特効薬の開発に
糸口を見い出し)、ようやく神に召されて、既に天国に逝かれたことを、最近ある
英文ネット欄 (上記) で偶然知った。そこで、彼女の涙ぐましい崇高な努力を讃
えて、この英文ネット欄を日本のNF患者向けに、多少解説を交えて、以下のご
とく邦訳 (意訳) した。

                  
デニス嬢は、ダラス近郊のプラノで、皮膚科の町医者(GP)をやっているBob
Terrill 医師とその奥さん Minerva (看護婦) の次女として、1976年10月
11日に生まれた。4歳の頃、彼女が稀少難病「NF」(神経線維腫症)にかかっ
ていることが診断された。もっとも、彼女のNFは「遺伝性」ではなく「弧発性」
だった(両親にも2人の兄姉にもNF症状は全くなかった)。その報は、彼女自
身ばかりではなく、家族全体に大きなショックを与えた。にもかかわらず、少な
くとも彼女の幼年時代は、比較的平穏に過ぎていった。ピアノやダンスのレッス
ン、乗馬などを楽しんだ。やがて、彼女は小学校で、水泳のスター選手として活
躍し始めた。しかしながら、10歳頃から、NF2腫瘍(Schwannoma)が脊髄に
発生したため、最初の手術を受け始め、水泳のレースに支障をきたし始めた。そ
の後10年間の長きにわたり、脳や脊髄に引き続き発生する腫瘍の摘出のため、
合計13回にわたる主要な外科手術を受けねばならなかった。その度に、彼女の
手足の機能が一部麻痺し、強い闘魂と「リハビリ」を通して、それを克服していっ
た。

しかしながら、13歳の頃、腫瘍の術後、両耳の聴力を完全に失ってしまった。
彼女は間もなく、母親と一緒に、手話をマスターして、普通の中学と高校を手話
通訳の助けを借りて、それぞれ卒業した。高校の卒業式の直前、彼女はまた一連
の手術を受け、車椅子でしか歩けない状態になった。しかし、彼女は校長から、
晴れの卒業証書を自分の手で受け取るために、講堂の演壇を自分の足で歩けるよ
う猛訓練を重ね、見事にそれを果たして、同級生や教師たちから満場の喝采を浴
びた! 

20歳の頃 (1997年に)、とうとう彼女の脳や脊髄の腫瘍が急激に悪化し、
最後の手術を受けた後、頭から爪先まで全身が麻痺してしまい、以後12年間、
自宅で(大学病院の看護婦を辞めた母親を交えて、3ー4人の交代で24時間つ
きっきりの看護の下)「寝たきり」の闘病生活をおくることになった。勿論、自
分で呼吸や食事ができないので、呼吸器や流動食用のチューブの助けを借りて、
強い精神力で生きながらえ続けた。この12年間、彼女の外界との会話は、手話
をする母親や看護士と彼女自身のわずかに見える片目の眼球を(イエスかノーの
合図をするため)左右に移動することによってのみ可能だった。にもかかわらず、
彼女は決して苦情も言わず、挫折もせず、両親や家族の愛情や献身に応え続けた。
その姿は、同じプラノ出身で精巣癌を奇跡的に克服後、自転車耐久レース「Tour
de France」 で7連覇を果した、かの有名な Lans Armstrong 選手ばかりではな
く、多くのNF/癌患者たちを感動せしめ、勇気づけた。

この彼女の感動的な闘病精神 (いわゆる「テキサス魂」)が、テリル夫妻を中心に
して、10年ほど前に始められた「デニス・テリル NF研究基金募集」活動の原
動力になった。それまで、NFの治療には、外科手術かガーマーナイフのような
放射線療法しかなかった (これらの「物療」は多くの場合、修復しがたい「後遺
症」を残す!)。NFに効く治療薬がまだ開発、市販されていなかったからだ。そ
こで、安全なNF治療薬の開発研究を助成するために、年間約千万円近い寄付金
を、ダラス近郊でテニス大会やゴルフ大会を毎年開催することによって集め、(稀
少難病「NF」の研究に専念するがために) 癌関係の研究費に恵まれ難いグルー
プを助成する慈善事業が始ったわけだ。

2004年から2005年まで2年間にわたって、豪州にある我々の研究グルー
プもこの恩恵に浴し、最終的には、今日最初のNF特効薬として安価に市販され
ている「Bio 30」(ニュージーランド産プロポリス・エキス) の開発を生
み出すことになる。更に、翌年には、地元テキサス州にあるMAアンダーソン癌
研の Razelle Kurzrock 博士の研究グループによる「クルクミンのリポソーム抱
合」という新しい方法で、インドカレーの辛味成分「クルクミン」をNF特効薬
として開発する研究が、このDTCC基金の対象になった。現在、この治療法の
臨床テストが米国で進められていると聞いている。従って、デニス嬢の12年間
にわたる闘病生活は、NF特効薬の開発研究に多大な貢献を成し遂げたことにな
る (注)。

2009年6月6日、デニス嬢はようやく神に召され、安らかに天国に昇天した。
テリル夫妻や兄姉にとっては、それは深い悲しみではあったろうが、ある意味で
安堵でもあった、と私は信ずる。天からデニス嬢に与えられた特別な使命(NF
特効薬の開発研究への寄与)が生前、確かに果たされたからだ。ここに改めて、
彼女の冥福を心から祈る共に、彼女やその家族によるNF界への貢献に、NF患
者の皆様と共に深く感謝したい。

注: プロポリスもクルクミンも、NF腫瘍や固形癌の大半の増殖や転移を抑え
る作用があるため、最終的には、これらの天然物はNFばかりではなく、癌の治
療薬としても、将来利用しうる。 http://www.bio30.com

追記:

実は、上記のNF特効薬の開発研究には、もう一人(若くして最近他界した)NF2患者
(少年 Louis)の家族による絶ゆまぬ努力が大きく貢献している。豪州シドニーに
住むルイス(当時 9歳)の母親 Rosemary Lee から 2002年の8月初旬、
突然私宛てにメールが届いた。ルイスが、脳内に増殖しつつあるNF2腫瘍
(Meningioma)のために、失明しそうなので、緊急にNF2腫瘍に効く薬を開発
してくれ、という極めて切羽つまった要望だった。ところが、当時、NF2の
原因遺伝子は既に同定されていたが、その遺伝子産物(「Merlin」と呼ばれる
抗癌蛋白)の機能がはっきりわかっていなかった。 もっとも、「メルリン」がどうやら
発癌性キナーゼ(蛋白燐酸化酵素の一種)「PAK」を遮断しているのでは
ないか、という間接的な推測は、私の研究室でついていたが、その確証がまだ
取れていなかった。

そこで、急きょ、それを実証する実験を開始した。その結果、予想通り、メルリンが
「PAK」を直接阻害する蛋白であることが判明した。実は、その発見がきっかけで、
例の「DTCC」NF研究助成基金 (2年間分) を、テリル夫妻から提供された。
次に、市販されている安価で安全な天然物の中から、「PAK」を選択的に遮断する
物を同定、NFの特効薬として開発する研究を開始した。まず、中国四川省特産の
「花椒」(山椒の親戚)のエキスが「PAK」を遮断することを発見した。更に、ドイツの
ハンブルグ大学病院 (UKE、欧州におけるNF研究の「メッカ」)との共同研究で、
前述の「Bio 30」が花椒エキスより強力な「PAK」遮断作用をもち、実際に
動物実験で、NF腫瘍の増殖を強く抑えることを確認するのに成功した。

惜しむらくは、2009年9月に (家族全体で、米国のボストン郊外に引っ越して
間もなく)、ルイス少年(16歳)は丸でデニス嬢の跡を追うかのごとく、突然の
心臓発作で、永眠についた。せっかく、彼のために「Bio 30」を用意 (開発 )
したにもかかわらず、彼自身はその恩恵に余り浴することなく、この世を去って
しまったのは、とりわけ母親のローズマリー (もともとは、医学とは縁のない
主婦だったにもかかわらず、ネットを介する独学でNF2に関する研究について
精通し、我々の研究室ばかりではなく、全米のNFや癌の専門家に向かって、
「クルクミン」などをNF2特効薬として開発するよう強く訴え続けたエネルギッシュな
女性)にとっては、さぞかし口惜しいことだったろう。ここに併せて、(日本語が
堪能だった) ルイス少年の冥福も心から祈る。。。

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