人々の “健康促進” のために!

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2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2011年1月4日火曜日

大阪に住むある母子家庭

今から8年ほど昔、あるきっかけで、大阪に住むある女性とメールを2、3度交
わしたという記憶がよみがえった。当時38歳だったから、もう46歳近くになっ
ているはずだ。その女性は、母子家庭の母親で、当時5歳の息子が1人いた。
もう13歳、中学に通っているはずだ。

その少年は、この母親と黒人との間に生まれた日米混血児である。従って、(ま
だ差別意識の強い)日本の社会ではなかなか暮らしにくい。この母親は主にキー
ボードを使って、色々な流行歌の作曲をすることを職業にしている。彼女はその
当時、この母子家庭を勇気づけてくれる話相手 (男性)を海外に探していた。

ちょうど我々がパール・バック女史の伝記(訳本)を出版してから、まもない頃
だった。女史は名作「大地」の著者であると共に、ノーベル文学賞をもらった有名な
米国作家であるが、その生涯の前半(約40年)を、中国大陸で過ごすという、
ユニークな体験の持ち主である。そこで、女史は極東の社会や文化に精通して
おり、戦後まもなく、日本を初め、韓国、台湾、フィリピンなどのアジア諸国に駐
留していた米軍の将兵たちと、現地の女性との間に生まれた混血児で、父親が
(米国に引き揚げる際に)置き去りにしていった、いわゆる混血孤児たちの面倒
をみる(養子斡旋をする)ための財団を設立し、自らも数人の孤児を自宅に引き
取った慈善家としても良く知られている。

それが、この母子家庭とメールをやり取りし始める直接のきっかけとなった。我々
の出版した女史の伝記を紹介し、この母子家庭をできるだけ勇気づけるのが、主
な理由だった。幸か不幸か、その文通は数か月で途絶えてしまったと記憶してい
る。ごく最近になって、私が癌研究所をリタイアして、メルボルン郊外に引っ越
しを済ませ、古くなった書類の山を整理中、この女性との最初の文通メールの英
文コピーをたまたま発見した。この母子家庭から送られてきた2、3枚の写真を、
今でも懐かしく思い出す。その後も歌の作曲で活躍している様子だが (メール・
アドレスが変わってしまったので)詳しい消息はわからない。 願わくば、この
家庭が幸せになっていることを、心から祈ってやまない。。。

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