人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2011年1月13日木曜日

「選択の自由」を尊重せよ! 

我が母校「日比谷」の校歌は、「星陵、我らあり、自由の天地」という言葉で始
まる。星陵とは、母校が立つ丘の上をさすが、少なくとも都内では、「自由の天
地」だった。我々は全てに関して、「選択の自由」を許されていた。しかしなが
ら、星陵にあった「自由の天地」は、(1967年に導入された)かの悪名高き
「学校群制度」で、もろくも崩れた。。。先ず、自分の希望校を選択する自由が
奪われたからだ。

「日比谷つぶし」という異名をもつこの「小尾」制度は(動機は違うが「日教組」
からも支持を受けながら)以後30年以上も続き、「日比谷」のみならず、都立
の高校全体を急速にレベルダウンさせ、私立や国立の付属高校に「漁夫の利」を
与える結果となった。今世紀に入って、ようやく、学校群/学区制度の弊害(結
果的に「都立つぶし」)が「都民」自身によって初めて認識され、全面廃止に至
る。そして、都立の旧名門「日比谷」や「西校」などが、次第に「復活の道」を
たどり始める。。。

(「大志」はあるが)月謝の高い私立校にはとても入学できぬ都内に住む(我々)
貧乏人の子弟たちには、この「名門」の復活は良報である。人々の間には、「経
済的」格差と同様、「知能」や「体力」など様々な能力に格差があることを、決
して忘れてはならない! 1967年の「小尾」制度/通達は、それを無視した
「暴挙」だった。振り返ってみれば、この「小尾」制度が、国立大学の入学制度
には採用されなかったのは、正に「不幸中の幸い」だった。。。さもなければ、
名門「東大」や「京大」は、この世からもう消滅していただろう。。。「選択の
自由」が許されぬ社会は、言わば「全体主義」の社会であり、遅かれ早かれ、滅
亡する以外に道はない!  

小尾教育長が一体なぜ「学校群」制度を導入したか、その理由はいまだに「謎」に
包まれている。一説には、「受験地獄」を解消するため、と言われている。しかしながら、
我々「日比谷」に合格した生徒の大部分は、「受験地獄」など一度も感じた
ことがない。普通の区立中学で普通に勉強していれば、「然るべき知能」
(実力)の持ち主ならば、スムーズに合格するのである(当時、私の中学から
男女それぞれ5名ずつ受験したが、みごと10名全員「日比谷」に合格した!)。
「受験地獄」はマスコミの作った「神話」(ウソ=作り話)に過ぎないのだ。
もちろん、「実力」のない者が(無理に「背伸び」をして)受験すれば、当然
落第するが、それは地獄ではなく、「自然の成り行き」に過ぎない。

「京大」出の亡父は、(小尾通達のお先棒を担いだ)「日教組」の教師連中を批
判して、こう曰く:
「名門校の教師でない大多数の2流/3流校の教師は、自分たちに2流/3流と
いうレッテルが一生つきまとうのを嫌って、名門校をなくすため、学校群制度を
全力でバックアップした。つまり、自身の「虚勢」を満足させるためである。
受験生の気持など、全く考慮していないんだ」。
父の洞察は「真実」を見事に射抜いている、と私は思っている。

さて、私が「日比谷」時代からずっと疑問に思っていることが一つある。天皇家
に生まれた子弟、特に「長子」(長男あるいは長女)は、たとえ「頭脳明晰」で
も、皆「強制的に」(「日比谷」ではなく)「学習院」に入学させられ、最終的
には「天皇」(「象徴」と呼ばれる、「発言の自由」も「選挙権」もない、不思
議な存在/職業)にさせられるのだろうか? 憲法に保証された「教育や職業の
選択」の自由は、一体どこにいってしまったのだろう? 

成人して(いわゆる「結婚適齢期」に達して)から、もう1つの疑問が湧いてきた。
「異姓」結婚は、なぜ日本では認められないのだろうか? 欧米諸国でも中国
でも、女性は(もちろん、男性でも)結婚と同時に、自分の苗字(姓)をわざわざ変え
る必要は全くない。例えば、(海外に住む)我が家の息子や娘たちは皆、結婚後
も、「旧姓」をそのまま使っている。日本ではいまだに、夫婦が「同姓」でなければ、
結婚は認められず、「同棲」扱いされている。 これは、憲法が保証している「姓」を
自由に選択する基本的人権を犯すものではなかろうか? 特に、最近の女性は
大多数、職業をもっている。 そして、結婚(あるいは離婚)するたびに、職場で
(同一人物でありながら)「姓」を一々変更するのは、煩わしいばかりではなく、
個人のIdentityが明らかに損なわれている。近く、この「異姓結婚」の是否が、
日本の裁判所で初めて議論され、決着が付けられると、風の便りに聞いている。
裁判官も裁判員もぜひ「常識」を働らかして、「大岡裁判」をやって欲しい。。。

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