人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2016年3月6日日曜日

遅すぎる受賞: ノーベル賞は果して 「墓場への切符」 で良いのだろうか?


戦後間もなく、60歳でノーベル文学賞をもらった米国の詩人TS。 エリオット(1888-1965)は、「ノーベル賞は墓場への切符だ。受賞以後に何かを成し遂げた人間はひとりもいない」と親友に内心を打ち明けたそうである。その真意のほどははっきりしないが、おそらく、「受賞が遅すぎた」ことを嘆いているのだろう。しかしながら、彼の言葉少なくとも後半部自体は、実際には、間違っている。受賞のすぐ翌年[1909年]に、梅毒の特効薬サルバルサンを発明したパウル=エーリッヒ(1854-1915)がその典型的は一例である。彼は、その発明以来、「化学療法の父」と呼ばれるようになった。もう一つの例は、インスリンのアミノ酸配列を決定して、ノーベル化学賞をもらったフレッド=サンガーは、のちにDNA配列の決定法を発明して、二度目のノーベル化学賞をもらった。従って、これ等の「比較的若い」科学者(受賞者)にとっては、ノーベル賞は決して「墓場への切符」にはならなかった。

言い換えれば、ノーベル賞の受賞が一般的に最近、遅きに失する傾向があることを指摘すべきだろう。駆虫剤「イベルメクチン」を1980年代に開発した大村さんは、80歳になるまで、ノーベル賞(医学)をもらえなかった。この遅過ぎる受賞を「ノーベル平和賞」と受け取っている(解釈する)者も少なからずいる。彼の「イベルメクチン」発明は主に、アフリカ大陸の貧しい人々の福祉向上に貢献したからである。正直な話、我々先進国に住む人々には、ほとんど恩恵はなかった。

しかしながら、我々による最近の研究によれば、「イベルメクチン」にはPAK遮断作用があり、抗癌作用もある。従って、応用の仕方によっては、我々先進国に住む人々にも、大いに恩恵があるはずである。問題は、この薬剤の特許がすでに期限切れであることである。従って、市場を独占できるライセンスなしでは、製薬会社は、この薬剤の適用範囲を(癌治療に)拡大するための努力をしようとしない。もう一つの問題は、この薬剤は分子量が大き過ぎるため、血管脳関門を通過しにくい。従って、脳腫瘍や認知症などの脳内に発生する疾患には効かない。

そこで、我々は脳内にも届く比較的分子量の小さな、しかも水溶性で細胞透過性の高い新しいPAK遮断剤を目下開発しつつある。これらが将来、もし市販されるようになれば、ノーベル医学賞に値すると思う。(アフリカ熱帯の民族ばかりではなく)全人類に貢献するからである。しかしながら、市販の実現までに時間がかかり過ぎると、ノーベル賞は墓場への切符になるどころか、墓場の入り口にすら持参できなくなるだろう。

アルフレッド=ノーベルの本来の意図は、ノーベル賞に付随する賞金で、(若い)受賞者を経済的に自立させるチャンスを与えることだった。しかしながら、現実の世界では、ノーベル賞は、受賞者が政府機関や財団からの研究助成金を確実にもらえるよう保証する機能しかない。それでは、定年で既に現場を退職してしまった受賞者には、名誉以外には、実質的に何の恩恵もない!

数年前、南部陽一郎さん[87]がノーベル物理学賞の受賞知っ時、「遅すぎた」と一言呟いたそうである。彼は、ストックホルムの授賞式にも出席できぬ状況になっていた(地元シカゴにあるスエーデン領事館で、ノーベル賞を受賞した)。数年後[2015年]に南部さんは大阪の病院で亡くなった。

日本の「文化勲章」には、老人にしか与えられぬ文字通り「墓場への切符」という定評があるが、ノーベル賞はそうであってはならぬと、私は思う。皮肉にも、南部さんの場合は、ノーベル賞受賞より30年前に「文化勲章」をもらっている。しかし、「文化勲章」には、賞金が全くつかない。賞状(紙切れ)一枚では、何の役にも立たない! せめて「葬式・埋葬代」くらい払ってくれるべきである。



 
 
 

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