人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2016年7月20日水曜日

"病院の向かい側に葬儀場" (Highway to Heaven)は、果たして不適切か?



 
さて、”意外にも“、日本では今日、5人中 4人(8割)が病院で死亡する。

 
http://diamond.jp/articles/-/60515

 
事実、私の両親は両方とも、都立の病院で死んだ。 勿論、病院の不手際が原因で死んだわけではなく、容体が急変したので、自宅から病院に救急車で運ばれ、大往生した。 私自身も、死ぬ直前は、できれば病院で過ごしたい。 死後始末のために、家族や近隣に迷惑をかけずに済むからだ。 さらに、少なくとも、“孤独死”は避けたい。

 
優しい看護婦さんに看取られながら、最後の息を引き取るのは、“ロマンチック”でもある。 果たして、古い洋画の観過ぎだろうか?


従って、病院のすぐ近所に、葬儀屋を建てること (Making a Highway to Heaven)は、“利便性” を考えれば、極めて合理的であると私は思うが、我が国では、一体なぜ、病院や住民は、それにヒステりックに大反対するのだろうか?
欧米では、特に (カトリック系の) 病院では、院内に葬儀場がある場合が多い。


生物[命あるもの]は全て、死ぬ。 誕生を祝うと共に、死をも祝うという習慣が、日本にはまだ芽生えていないようである。 学校で、入学を祝うと共に、卒業を祝うのと、同じように。


死とは、“人生の卒業” と受け止めることができれば、誠に幸いである。


葬儀屋が、どこに火葬場を建設するか、場所を選択する自由は憲法で保証されている。原発、ごみ焼却場、飛行場や米軍基地などと違って、病院や住民に直接迷惑をかけない火葬場を “空き地” に建設することに市役所が許可したにもかかわらず、感情的に反対するのは、住民のヒステリー (わがまま、あるいは迷信) 以外の何物でもない。

我が家は、戦後しばらく、(東京の中央線 “高円寺” 駅近くにある) お寺の裏にある墓地の隣に住んでいたことがある。 恐らく、地価が安かったからだと思う。 我々子供たちは、墓地を遊び場にしていた。 しかしながら、私の記憶が正しければ、墓地の隣に住んでいても、何の災いもこうむらなかった。 両親とも、健康長寿を全うして、病院で安らかに息を引き取った (父は83歳、母は96歳)。



沖縄住民や、原発の近所に住む人々は、ちっぽけな “火葬場” 問題の前に、"実害のある" 米軍基地や原発を、地元から、即刻 “撤去” してもらいたいと、願んでいる。


 
       
      


 

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