人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2008年5月13日火曜日

「天の怒り」が遂に爆発!(ビルマのサイクロン、中国の大地震)

軍事政権が民主主義を無視して、ビルマの住民たちを長年虐待し続けているビルマに最近、巨大なサイクロンが襲いかかり、既に13万人以上が死亡、5万人以上が行方不明。にもかかわらず、軍事政権は海外(欧米)からの救援を快く受け入れず、溢れる難民への緊急な食料や医薬品や避難所の供給を渋っている。こんな無責任な政府の対処が長びけば、飢えや病気で20万人以上の死者が出る可能性が、現地で救援活動を続けているNGO関係者の間で、囁やかれている。

そんな矢先、中国の西部地方、チベット族が多数住む四川省でも、大地震が発生し、既に5万人以上の死者が出ている(被災者の数は一千万人!)。中国政府は、もし救援が遅れれば、現地のチベット民族の間にうっ積しつつある不満が爆発し、再び住民による暴動が起こりうる可能性を警戒して、迅速に救援活動を開始した。連鎖反応的に起こっているこの一連の天災 (及び人災)は、自然現象的にみれば、明らかに環境の保護を無視したために派生した「地球温暖化」による弊害 (避けがたい所産)である。

しかしながら、見方を少し変れば、虐げられているビルマの一般住民やチベット民族の現状を見るに忍びず、(無力な) 我々に代って「天上の神々」が、「ビルマ軍事政権や中国政府に対して、遂に怒りを爆発させた」という解釈も成り立とう。少なくとも、ビルマ住民やチベット民族のおかれている現在の境遇に同情する我々は、軍事政権や中国政府が、「天の示す怒り」に対して、敏速に (天災が人災へ大幅に拡大せぬよう) 然るべき 人道的な (適切な) 対応をしてくれることを切に望んでいる。

ビルマ軍政、海外からの人道的援助受け入れに同意: 
国連事務総長 (潘 基文) の「勇気と情熱ある説得」
http://www.asahi.com/international/update/0523/TKY200805230208.html


ミャンマー国営紙「米のカトリーナ対応よりまし」?
http://www.asahi.com/international/update/0515/TKY200805150299.html


1976年の元被災地『唐山』から恩返し 四川大地震ボランティア続々
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2008051502011543.html

1 件のコメント:

Heidi さんのコメント...

ビルマのジャンヌ・ダーク (Perfect Hostage)

ビルマ独立の父「アウンサン」の娘、スーチーは、英国人と結婚して、息子2人を育てながら平和な暮らしを英国でおくっていた。ところが、1988年にビルマに残してきた母が急病という知らせを受けて、急きょ母国ビルマに母の看病のため帰国した。その帰国は、幸か不幸か、スーチーのその後の運命を180度変えてしまった。

というのは、ビルマでは1962年に発生した軍によるクーデター以来、独裁的軍事政権がビルマの民衆の基本的人権を蹂躪する腐敗政治を続けていたが、それに我慢ならなくなった学生を始めとする革新勢力が、民主的な総選挙を要求して、軍事政権に活発な挑戦を繰り返していた。それを弾圧するため、軍事政権は、無防備はデモ参加者たち多数を銃や警棒で殺傷し続けていた。スーチーは病院で母を看病しながら、病院にかつぎ込れてくる負傷者たちから、軍事政権による圧制の非道さを直に耳にする機会を得る。

以後、スーチーは英国への帰国を断念してビルマの地に留まり、ビルマ民衆のために、民主化運動の最先頭に立って、軍事政権と戦う道を選ぶ。彼女の(軍事政権による)数年にわたる軟禁や投獄にもものともせぬ不屈の戦いを讃えて、1991年には、軟禁状態のスーチーにノーベル平和賞が与えられた。

著者ジャスチン・ウイントルは、この伝記を通じて、(戦前に始まる)ビルマの英国からの独立運動史と共に、戦後のビルマ民衆による軍事政権からの独立をめざす長い闘争史を描きながら、今やその先頭に立っているスーチー(ビルマの「ジャンヌ・ダーク」)の稀にみる勇気と深い苦悩を、我々に生き生きと語りかけている。インドの独立運動の指導者「マハトム・ガンジー」や南アのアパーシー撤廃運動の指導者「ネルソン・マンデル」らの伝記と共に、必読の書として、私は多くの読者にこの本を薦めたい。