人々の “健康促進” のために!

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2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2017年11月26日日曜日

横浜 "翠嵐" 高校の躍進 (予備校化)!

(日経電子版より抜粋/編集)

JR横浜駅に近い名門県立高「横浜翠嵐」。東大合格者数は2000年には1人にまで落ち込んだが、2017年は34人と躍進し、「東大合格校に異変」と話題になっている。難関大学の受験で中高一貫校 (私立、国立大付属) の優位が続くなか、都立高「日比谷」の45人に次いで「都道府県立校の逆襲」の台風の目となっている翠嵐。どんな教育をしているのだろう?  翠嵐の校長によれば、高一の段階で、生徒の進路 (受験大学) を決めるそうである。かなり「スパルタ教育」であり、 「自由の天地」と呼ばれていた我が母校「日比谷」では、全くあり得なかったことである。

2016年入試を見ると、翠嵐からの東大現役合格者は18人。浪人を含めると20人なので、なんと9割が現役合格だ。公立高では現役合格率が6割を突破するのも難しいとされる。「当時、あと一歩で不合格だった生徒が沢山いました。その結果、2017年の東大合格者は浪人13人 (貯金!) 、現役21人の計34人になり、過去最高になったわけです」と、(翠嵐の) 佐藤校長は目を細める。2017年の私立トップ大学 (早稲田及び慶応) への合格者数に関しては、翠嵐が日比谷をも僅かながら凌いでいる! 

他方、翠嵐のライバル、神奈川県立「湘南」は、その昔、神奈川一の東大進学校 (2010年ノーベル化学受賞者「根岸英一氏」を輩出) を誇っていたが、2017年には、東大への合格数が僅か18人と落ちぶれ気味である。

さて、翠嵐が日増しに「予備校化」 する中、高校時代に「文武両道」やモーツァルトの名曲 (Eine kleine Nacht-Musik) など、幅広い情操教育を楽しみたいならば、日比谷、西 (都立)、湘南や浦和 (埼玉県立) など、往年の名門高へ進学を勧める父兄や教師もある。

私自身が日比谷を受験した理由はごく単純だった。自宅の隣番地にある区立中学の担任教師から偶々同じ学区内にあった「日比谷」を受験するよう勧められたからだ。推薦を受けた男子5名と女子5名が見事に全員合格した。我が中学創立以来の快挙だった!  当時は日比谷の「黄金時代」で、毎年180名近い卒業生が東大に進学していた。ところが、私の夢は (レンブラントやミケランジェロなどの) 画家になることだった。だから、高校時代には、 (上野にある) 「芸大」へ進学をめざす、ごく少数の異色組に属していた。ところが、芸大入学後のある夏休みに神田の古本屋で偶々読んだ化学療法の父「ポール=エーリッヒ」に関する伝記に感動し、画家を諦め薬学者をめざし、急きょ「東大受験」に変更した。不幸にして、私が東大を卒業した1967年に、かの悪名高き「学校群制度」が都立高校に施行され、日比谷や西などの名門校が瞬く間に、凋落の一途を辿った! 「漁夫の利」を得たのは、開成や灘などの私立高校と少数の国立大学付属高に過ぎない。そして、弊害視されていた「学校差」に益々拍車をかけた!  

 罪深い学校群制度 (日比谷おろし) は1994年になって、ようやく廃止され、往年の「単独選抜」制度に戻された。 その27年間の長きに渡る「都立高校教育の空白 (改悪) 」は致命的である。 にも拘らず、「日比谷」は地道に「復活」を遂げつつある。。。 2016年になって、東大合格者が45年ぶりに50名の大台を越えた!

去る9月、日比谷の陸上部 2年生 (金山君) が都高体連の新人大会 5キロ競歩で、見事優勝 (25分37秒) したと伝え聞いている。堀田君も7位に入賞した。往年 (我々の時代) 、日比谷のラグビー部が ("保善"と共に) 都代表として、インターハイで "ベスト8" まで進出する活躍ぶりを示した (結局、"保善" が 3度目の優勝!) が、最近は陸上部が強くなり、(高校時代) 私自身の専門競技だった競歩で、後輩たちが桧舞台で活躍し始めたのは、大変喜ばしい。

 イソップ童話にたとえれば、翠嵐は「ウサギ」  (大学入試だけに突っ走る「即効型」) 、日比谷は「カメ」 (走らず競歩する「大器晩成」型) かもしれない。因みに、ウサギの寿命は最大8年程度 (早熟) だが、カメの寿命は最大160年以上である。 どちらの人生を選択するかは、本人次第である。


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