人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2015年11月22日日曜日

沖縄の「アメラジアン」の教育権を考える会 (Amerasian School in Okinawa)

日本における米軍基地の75%が狭い沖縄に集中している現実は、肥満症ばかりではなく、もう一つの深刻な問題を、戦後の沖縄にもたらした。「アメラジアン」問題である。

米軍基地の将校/兵士と(沖縄を含めてアジアの) 現地女性との間に生まれた混血児 (アメラジアン=Amerasian) は、父親である米国人が母子を現地に置き去りにして、米国本国に帰国すると、多くの場合、経済的に貧しい (現地の) 母親にも捨てられ、孤児になった。 現地にはびこる根強い「人種的偏見」という重圧のためである。 これらの混血孤児を救おうと立ち上がったのが、横浜の澤田美喜 (岩崎弥太郎の孫娘、1901-1980) であり、米国のパール=バック女史 (ノーベル賞作家、1892-1973) である。

澤田さんは大磯にある別荘を開放して「エリザベス=サンダース ホーム」を立ち上げ、孤児の養育と養子斡旋を、戦後間もなく始めた。バック女史も米国の自宅に「ウエルカム ホーム」と「パール=バック財団」を立ち上げ、養子斡旋を開始した。 女史が1966年に出版した「For Spacious Skies」はアメラジアン問題を対話形式で扱ったドキュメンタリー (約200ページ) である。残念ながら、その邦訳は未だ出版されていない。 そこで、邦訳「無限の大空:  アメラジアン(混血孤児)支援への旅」の出版を目下企画中。

このドキュメンタリー (英文原作) が出版された当時は、沖縄にも「パール=バック財団」の支部があったと聞いているが、その後、沖縄が日本に返還されると同時に、支部は閉鎖され、沖縄では、特にその種の混血児を世話する施設がなくなった。 そこで、1998年になって、自らもアメラジアンを持つ Single Mother (薬剤師) が、「アメラジアンの教育権を考える会」を宜野湾市内に立ち上げ、混血児のための"Bi-lingual" 義務教育を開始した。 この女性が今日の理事長「セイヤー(Thayer) みどり 氏」である。 このアメラジアン=スクールは、現在、琉球大学キャンパス (千原) のすぐ近 く (沖縄県宜野湾市志真志1丁目15-22) にある。

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