人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2018年3月4日日曜日

北里柴三郎と文部省 (井の中の蛙) とのあつれき

コッホ研究所で、ジフテリアの血清療法などを開発し ( ノーベル賞候補にも何度か挙げられる) 世界的な細菌学者になった北里柴三郎はドイツ留学から帰国後、福沢諭吉の援助により発足した私立の伝研 (伝染病研究所、今日の東大付属の医科学研究所の前身) の所長になったが、ライバルの (いわゆる「井の中の蛙」) 東大医学部長 (青山胤通、細菌学専攻) と文部大臣の策略 (結託) によって、自分の伝研が勝手に文部省の管理下にある東大医学部の付属研究所にされたのを不服に感じ、伝研の所長を潔く辞めて、新たに私立の研究所 (北里研究所) や(福沢諭吉が創立した) 慶応義塾大学に医学部を新設するに至る歴史的な経過をドラマチックに描いた作品である。

実は、青山は昔から北里に恨みを感じていた。殊に1894年ごろ発生した香港ペスト事件で、青山が北里に体面をひどく汚されたからだ。ペスト調査団のメンバーとして、伝研を代表して北里、東大を代表して青山が香港に派遺された。青山はペスト患者の屍体解剖をやっているうちに、ペストに感染して、九死に一生を得た。他方、北里はペスト菌を世界に先駆けて発見するという華々しい功績を挙げた。そこで、青山は北里を何とかして、自分の尻に敷く機会を虎視眈々と狙っていたのだ。

(私学と官学との対立を巡る)この事件を通じて、「九州男児」(熊本出身)北里の激しい「医魂」(医学者としての強い独立精神) が浮き彫りにされている。

さて、この事件が発生したのは、「早稲田」の創立者である大隈重信(1838-1922)が首相であった時分である。このエピソードから、「慶応」には昔から医学部があるが、ライバルの「早稲田」にはいまだに医学部がない由縁も容易に理解できるだろう。 私自身の意見では、慶応の猿真似をしてまで、今さら早稲田が医学部を新設する必要はない! 各々の大学は確固たる独自性を保持すべきである。

 千円札に載っている (同時代の) 野口英世の名声は高いが、実質的な医学上の業績は (北里柴三郎) に比べてかなり劣る。 従って、私個人の意見では、千円札の「顔」は後者に変えるべきであろう。尤も、そんな「雑音」には、今の蔵相や日銀総裁は「聴く耳」を持たぬであろうが。。。

薬学部出身で、海外で長らく最先端の「創薬」を志す私自身も「文部省嫌い」であり、私小説「闘う薬魂」をいつか将来、(機会があれば) 出版してみたいと夢見ている。例えば、「建国記念日」(紀元節)、「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱、米軍や自衛隊との「軍学共同研究」、「6年制薬学部の新設」、「英語教育の抜本的強化」など諸々の問題で、"封建的な" 文部官僚連中と真っ向から意見が食い違う。。。

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