人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2008年6月21日土曜日

大往生: 立派な死に方

偉大な米国の大統領フランクリン・ルーズベルト(FDR、63歳)は、1945年4月12日、仮眠中に脳卒中で急死した。ポリオ(小児麻痺)をまず克服し、車椅子でニューヨーク州知事に当選後、更に世界中に吹き荒れた大恐慌や第二次世界大戦を見事に克服し、史上初の大統領4期(1933ー1945)を務め、稀れにみる勇気と「先見の明」を発揮した20世紀が誇る偉人である。FDRの死を「大往生」と、人々は今でも高く讃えている。

それにくらべるとスケールは勿論小さいが、私の妹(長女、64歳)が最近、東京の実家で、心臓麻痺か脳溢血で大往生したという悲しい知らせが母から、豪州に住む私のもとに届いた。私の母(90歳)は、あっという間に先立った自分の娘の急死を「大往生」と呼んだのだ。私もこの妹の死が「大往生」という表現に正にふさわしいと思っている。 奇しくもこの妹が生まれたのは、FDR他界のちょうど一年前の4月12日だった。

35年ほど海外で癌研究をずっと続ける(長男である)私に代って、過去25年間の長きにわたって、この妹は我々の両親の老後を献身的に看続けた。(経済的理由で)大学にも進学せず結婚もせず、高卒後すぐ民間企業に勤務し始め、定年に達するまで40年近くいつも率先して仕事に励んできた模範的な「OL」だった。我が家では生前、彼女を「すぐやる社長」と愛称していた。

必ずしも健康が優れていたわけではなかった。子宮摘出という大手術後、最近数年はバセイドウ氏病 (眼の自己免疫病) や不整脈などに悩まされながら、(20年ほど前に83歳で病死した)父の世話を数年間、更にその後20年近く母の老後を一手に引き受けてくれた。更に病弱な下の妹の世話も快よく引き受けてくれた。

ある意味で無欲な「天使」のような人物だった。その妹がある日、買物から帰宅してしばらくして、「倒れる!」と叫びながら台所の床に横たわり、そのまま意識不明になり、救急車が到着したときには、もう心臓が停止していたそうである。ほとんど苦しまずに、とても穏やかな顔で、天国に静かに召された。母はそれをじっと見守りながら「大往生だった」とつぶやいた。心中では、できれば自分がこの優しい娘に代って「大往生」したかったのかもしれない。

近く実家に帰り、亡き妹の納骨と、彼女が(東京郊外の)自身のアパートに残していったトラック4台分の「世帯道具」の整理や処分を、母と下の妹と共にする準備を目下進めている。アルピニストだった亡父が生前、富士山麓のある霊園に墓地を買っておいた。(「富士」の姿を眺めながら)父の霊が今静かに眠るその直ぐ脇に、深い感謝の意をこめて、この妹の遺灰を埋葬してやることが、帰京最初の務めになりそうだ。

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