人々の “健康促進” のために!

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2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2016年2月10日水曜日

(専売) 特許の世界史

(専売) 特許制度が(高峰譲吉などの努力によって) 日本で初めて施行されたのは、明治18年 (1885年) のことであるが、この特許制度は元来、ユニークな発明や新案を奨励し、「猿真似」(今世紀の流行語では「コピペ」) を禁止する制度であるが、日本では江戸時代に、逆に「猿真似」を奨励、「発明」を禁止する法律があったのは、いささか驚きである。1721年(享保6年)鎖国時代の日本では、八代将軍吉宗が享保(きょうほう)の改革を行い、「新規御法度」(しんきごはっと)というおふれを定め、お菓子、おもちゃ、着物などの新しい工夫が禁止された。我々現代人からみれば、正に「享保の改悪」である。私のうがった見方によれば、この御法度 (禁止令) は、主に火薬、鉄砲、大砲などの「飛び道具」(戦さに役立つ武器) の改良を (薩摩などの外様大名に) 禁止するためのものではなかろうか。豊臣秀吉による「刀狩り」に始まる、いわゆる「テロ行為禁止条例」の一環ではなかろうか。

さて、世界的にみれば、最古の専売特許令は、イタリアのヴェニス (ヴェネチア共和国) で1443年に、「発明者条例」として公布された。 当時、ルネッサンス文化の中心であり、商業貿易の世界的中心地であったヴェニスは、新しい発明を奨励していた。鎖国時代の日本とは全く正反対の状況にあった。 これより2世紀ほど遡って、1200 年代には、ヴェニスの商人であるマルコ=ポーロ(1254-1324) がシルクロード沿いに隊商をしたてて、はるか「中国 」(元朝廷) まで旅し、東洋の先進的文明 (例えば、火薬、製紙、陶磁器、漢方薬、ラーメンなど) を吸収して、帰国した。 更に、有名なルネッサンス時代の画家、レオナルド=ダヴィンチ (1452-1519)は、ヴェニスで手動式の空飛ぶグライダーや大砲やら様々な発明 (デザイン) をしたことが、彼が残した遺品 (スケッチブック) からうかがわれる。 もっとも、ダヴィンチが新案特許を申請したかどうかは定かでないが。

新案特許のラッシュは、18世紀後半の英国に初めて産業革命が勃発してからのことである。 ジェームス=ワットの蒸気機関 (1776年) やロバート=フルトンの蒸気船 (1807年) などは、典型的な新案特許の例である。 フルトンがダヴィンチ同様、元来は画家であったのは、大変面白い。 空想/想像力に長けていたにちがいない。

米国海軍ペリー総督の黒船 (大砲を積んだ蒸気船) に怯えた江戸幕府および明治政府は、欧米先進国にできるだけ早く追い付くために、いわゆる「享保の改悪」を廃止して、「専売特許令」を発布せざるをえなくなったわけである。 しかしながら、初期の日本の専売特許の大半は、欧米の英文特許の単なる「コペピ」(邦訳) が多かったのではなかろうか。勿論、高峰譲吉の「アドレナリン」や「タカジャスターゼ」に関する英文特許は、正真正銘の新案特許であるが。

1985年に特許庁により選ばれた「日本の5大発明家」(番号は特許番号):
豊田佐吉 (1891年)       木製人力織機           1195      
御木本幸吉 (1896年)    養殖真珠                  2670      
高峰譲吉 (1901年)        アドレナリン              4785    
池田菊苗 (1908年)       グルタミン酸ソーダ   14805 
鈴木梅太郎  (1911年)    ビタミンB1               20785 

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