人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2016年2月11日木曜日

アスピリンを巡る 「神話」 と 「史実」

医薬品の中で、最も長い歴史をもっているのは、バイエル販売の「アスピリン」と呼ばれる鎮痛剤/解熱剤/抗炎症剤である。 アスピリン(アセチルサリチル酸=ASA)という化合物が初めて効率良く純粋に合成されたのは、1897年のことである。 従って、120年近くの歴史をもち、現在なお一般に使用されている。 この化合物を合成したのは、当時「染料会社」だったドイツの「バイエル」の29歳の若者 (フィーリックス=ホフマン、1868-1946) だった。 実は、彼には慢性のリューマチに苦しむ父親がいた。 当時、リューマチなどの病気に伴う激しい痛みを和らげる薬としては、サリチル酸(SA)が一般に使用されていた。 SAは柳の樹皮から抽出される天然の鎮痛剤であるが、酸性が強いため、繰り返し経口すると、胃炎や胃潰瘍などの副作用を起こす。 そこで、彼は父親のために、SAの誘導体を合成し、その副作用を弱める試みをした結果、アセチル化したSA (アスピリン) は、副作用がずっと弱くなるが、鎮痛作用は依然としてあることが判明した。

そこで、次のような 「アスピリン神話」が 誕生した:  彼は早速、新規な化合物 「ASA」の合成法と鎮痛剤としての薬理作用に関する特許を申請して、バイエルから商標「アスピリン」で販売を開始した。 しかしながら、実は、これは「神話」に過ぎない。

史実はずっと複雑であり、先ずASAの合成法に関する特許など存在しない。 アスピリンに関する特許は山ほどあるが、それは全部 (極めて派生的な) 製剤法に関するものばかりである。 実は、ホフマンが合成に成功してから、図書館で文献調査をしたところ、40年以上昔(1853年)に、フランスのシャルル=ゲアハートが粗品ではあるが、既にASAの合成に成功しており、しかも、それから16年後にはドイツのカール=クラウトによって、純品も合成されていたことが判明した。勿論、ホフマンの合成法は多少改良されていたが、本質的には「発明」とはいい難い。 従って、特許の申請もしなかったし、その薬理作用を研究論文として発表することもしなかった。 勿論、彼の父親は(モルモット代わりに) 息子のASAを 有り難く経口した。

さて、当時の「バイエル」は「染料会社」だったが、医薬の開発も副業として始めていた。 医療部門は、ホフマンの所属する創薬課とハインリッヒ=ドレサー教授の薬理課に業務が分担されていた。 ASAはドレサーによって、薬理テスト(動物実験) されたが、特に顕著な作用は見つからず、そのまま「棚上げ」にされた。 実は、「バイエル」は当時、もう一つの新薬の開発に関わっていた。 麻薬「ヘロイン」である。 この化合物(モルヒネの誘導体)も、実は「バイエル」発ではない。 20年ほど前に英国の化学者(ライト博士)によって、発明されたものである。 しかしながら、この化合物が急に注目され始めたきっかけは、ドレサーが「バイエル」の従業員たちに、この化合物を飲ませ、「人体実験」をした結果、咳どめ薬「コデイン」の10倍の薬効があり、(中毒性などの) 副作用は10分の1であることが判明したからだ。 そこで、このモルヒネ誘導体を「ヘロイン」という商標で、1898年から販売し始めて、医療界に一大センセーションを巻き起こしていた。 従って、当初、ホフマンのASAはドレサーの関心外にあった。

ところが、1898年末に「異変」が起こった。創薬課の課長であるアーサー=アイヘングリューンは、ドレサーの無関心に腹を立て、ASAを経口して、その薬効を自身で確かめてみた。 少なくとも心臓に対する副作用はなかった。そこで、ベルリンの臨床医たちにこの薬を配り、リューマチ患者に試めしてみた。すると、リューマチの痛みばかりではなく、頭痛をも緩和したし、サリチル酸の持つ副作用が殆んど見られなかった。それを知ったドレサーは、その臨床テストの結果を、勝手に研究論文にして、臨床雑誌に発表した。その論文には、ホフマンの名もアイヘングリューンの名もなかった!  こうして、1889年に「バイエル」マークの有名な鎮痛剤「アスピリン」が市場に初めて出た。 おかげで、薬理担当のドレサー教授は「アスピリン」から巨万の富を得たが、創薬担当のホフマンやアイヘングリューンは、(結局) ASAの特許申請が却下されたため、「ASAプロジェクト」から得るものは一文もなかった。 以来、ドレサーと創薬チームの仲が険悪になったのは言うまでもない。 ホフマンは死から半世紀以上あと (2002年) になって、米国で 「発明家殿堂」入りしたそうである。

詳しくは、1991年に出版された英文の書籍 「The Aspirin Wars」(Mann, C & Plummer, M. 著) を参照されたし。平沢 正夫 による邦訳「アスピリン企業戦争」 ( ダイヤモンド社 、1994年) も出版されている。 「アスピリン」 を含有する種々の鎮痛剤 (頭痛薬) の"製剤" 特許および販売をめぐって、元祖 「バイエル」 とその他の製薬会社との間の100年以上にわたる壮絶な競争 (企業戦争) の歴史を扱った一般読者向けの本である。

最近の研究によれば、ASAには鎮痛作用ばかりではなく、抗炎症作用、血小板凝集阻害作用、弱いが抗癌作用などもあることが判明した。 なぜかと言えば、ASAはPAK遮断剤の一種なのである。 しかしながら、その抗癌作用は、例えば、最強のプロポリス「Bio 30」のわずか100分の1 に過ぎない。 我々はごく最近、別の古い鎮痛剤から非常に強力な新規PAK遮断剤 (抗癌剤) を開発して、国際特許を申請した。 その抗癌作用は何んと「Bio 30」の千倍近い。つまり、アスピリンの10万倍の活性を示す。 目下、この新規誘導体(アゾエステルの一種)を(将来)市場に送り出すための魅力的な「商標」を思案中である。 「アゾエステリン K」 という名はいかがだろうか?   「登録商標リスト」には前代未聞の名称である。

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