人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2016年2月6日土曜日

チャールズ=ハギンス (1901ー1997)による 「前立腺癌のホルモン療法」

3人に1人という高率で癌は発生するが、その治療法を開発した研究者の中で、ノーベル受賞者は極めて少数(4名のみ)である。その少数者の中で、最初にノーベル受賞者になったのは、カナダ出身のアメリカ人外科医であるチャールズ=ハギンス教授である。 彼の専門は前立腺癌であった。1924年にハーバード大学で医学博士を取得した後まもなく、シカゴ大学の癌研究所で、外科手術の合間に、前立腺癌の増殖と性ホルモンの関係を研究し始めた。前立腺癌の増殖には、男性ホルモン(アンドロジェン)依存性のものと、そうでないものがあるが、前者の場合は、女性ホルモン(例えば、エストロジェンなど)によって、その増殖が抑えられることを発見した。

そこで、男性ホルモン依存性の前立腺癌の治療に、「女性ホルモン療法」を初めて提唱し、臨床テストを繰り返した結果、ある程度の成果を得た。外科医は一般に石頭で因習的であるが、彼は例外的に柔軟な頭脳の持ち主だった。そこで、彼の草分け的な研究に対して、1966年にノーベル賞が与えられた。 前立腺癌の外科手術は「不可逆的」であるが、ホルモン療法の場合は、癌の根絶後、男性ホルモン療法により「一時的な女性化」を元に戻すことができる利点がある。

ついでながら、前立腺癌のホルモン療法の改良には、日本の研究者も大いに貢献していることがわかった。「新薬に挑んだ日本人科学者たち」(塚崎朝子著、講談社ブルーバックス) によれば、視床下部ホルモン ("LHーRH" と呼ばれる10個のアミノ酸からなるペプチドホルモン)のアミノ酸配列を初めて決定したのは、東大薬学部出身で "アンドリュー=シャリー" の研究室でポスドク留学をしていた松尾寿之博士であり、アンドリュー=シャリーはその功績で1977年にノーベル賞をもらった。 更に、このLHーRHの変異体を「怪我の功名」で合成した武田薬品の藤野政彦博士は、この変異体(リュープロン)が意外にも性ホルモン依存性の前立腺癌の増殖を抑制することを発見した。こうして、米国のアボット社と武田薬品の合弁会社(TAP)から、1985年にリュープロンが前立腺癌の治療薬として、販売されるようになった。おかげで、精巣除去手術や「一時的な女性化」という副作用に悩まずに、前立腺癌の治療ができるようになった。

更に、興味深いことが 「リュープロン療法」についてわかった。炎症や血管新生が抑制されていることが長崎大学婦人科の研究グループによって、数年前に観察されていた (1)。 前述したが、 炎症および血管新生は、典型的なPAK依存性現象である。従って、「リュープロン療法」は何らかのメカニズムで、PAKを遮断している可能性がある。 「リュープロン療法」は乳癌にも効くはずである。エストロジェンなどの卵巣ホルモン機能も抑制するからである。ただし、(一時的にではあるが) "骨粗しょう症" を併発する可能性もある。

私のNIH時代のボス (コーン博士) の場合は、前立腺癌の治療に放射線療法を適用したと聞いている。今年88歳 (米寿) になるが、今でもなお元気にNIHの研究室で活躍している。私自身の場合は、癌には多分ならないと思うが、もし仮に癌になったら、どんな癌でも、迷わず 「プロポリス療法」を適用する積りである。人それぞれ、自分の好みに応じて、治療法を自由に選択ができるのは良いことである。 ハギンス博士の場合はとうとう癌にもならず、(妻に先立れた後もずっと) 96歳まで長寿を楽しんだと聞いている。

PAK遮断剤 「プロポリス」の普及に貢献した古代ギリシャの「ヒポクラテス」(医学の祖)もそうであるが、古今東西 「名医」といわれる人物たちは、「健康長寿の秘訣」を自らの柔軟な頭脳で捜し当てるようである。

参考文献:


Changes in tissue inflammation, angiogenesis and apoptosis in endometriosis, adenomyosis and uterine myoma after GnRH agonist therapy. Hum Reprod. 2010; 25(3): 642-53.

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