人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
For detail, click the above image.

2016年1月24日日曜日

今月の英文ベストセラー: 「肺癌との闘い: 医師が患者になった時」

脳外科の優秀な若い医師 (37) がある日突然、肺癌の宣告を受けた! この手記はその運命の日から始まる。医師が患者に生まれ変わった日以来、彼の人生観や医学観が急速に変化した。 その変化を刻々と綴ったのが、この手記である。彼は結局、愛妻 (ルーシー) と愛娘 (リズ) をこの世に残して、肺癌で2015年3月に他界した。

私は医師ではないが、癌(特に脳腫瘍)の治療薬を開発しつつある薬学者である。私の大学時代の同級生仲間に、癌研究(特に抗癌剤)の専門家になった優秀な人物がいた。彼も肺癌の宣告を受けて、数カ月の闘病生活の末、数年前にとうとう亡くなった。その友人を思い出しながら、この手記(英文原書)を読んだ。原書のタイトルは、「When Breath Becomes Air」であった。

英文タイトルをそのまま直訳しても余り意味はない (強いて訳せば「肺が空っぽになる時」)。そこで、「医師が患者になった時」と意訳して、副題とした。主題は、ずばり「肺癌との闘い」が適当であろう。。。 もし、機会があったら、このベストセラーの邦訳を出版したい。 この本の訳者として、私が最適任であると思っているからである。 しかしながら、(副作用のない) 脳腫瘍や肺癌の特効薬 (PAK遮断剤) をできるだけ早期に市場に出す仕事も非常に重要である。 そんな薬は、市場には未だ出ていないからである。 

将来、こんな手記がもう出版されなくなる (癌や難病を絶滅する) ことの方が、むしろ優先されるべきであろう。

この手記は 「NYタイムズのベストセラー」になるほど、感動的なタッチで書かれている。著者は優秀な外科医であるばかりではなく、優れた文才の持ち主でもあった。 しかしながら、私をひどく失望させた一点がある。 それは、彼はなぜ「プロポリスを飲む」ことによって、自身の末期癌を克服することに気づかなかったのだろうか、という点である。 因習的な (石頭の)「外科」育ちだったからであろうか?  頭が柔軟な 「水平思考の効く」 内科医であったなら、この著者はPAK遮断剤である 「プロポリス」 を飲んで、きっと生き残ったであろう。 彼はロッシュ販売のEGF レセプター阻害剤の一種を抗癌剤として選んだ。これは肺癌の増殖をある程度抑えるが (プロポリスと違って) 癌の転移を抑え難い (1)。 厳しい言い方かもしれないが、彼自身 (あるいは主治医) は選択を誤った (「西洋医学」に頼り過ぎた) ようだ。

そういう意味で、この手記は、外科医の"悲劇" を綴ったものである。 彼がもし生き残っていたら、手記など書き残さなかっただろうし、仮に手記を出版しても、ベストセラーにはならなかっただろう。 古今東西、 悲劇は観衆に受けるが、喜劇は余り感動を呼ばない。

悲しいかな、 彼は言わば 「外科のパラダイム」 の犠牲者の一人であった。  あるいは「科学者(医師) の道」を捨て、敢えて 「文学者の道」を選んだのかもしれない。。。
 

ついでながら、癌の種類は違うが、やはり 「脳外科医が患者になった手記」が十数年前に、日本語で出版されている:  岩田 隆信 (著) 「医者が末期がん患者になってわかったこと―ある脳外科医が脳腫瘍と闘った凄絶な日々」 (角川文庫)  1999 .  著者は昭和医大病院の外科医で、末期の脳腫瘍で、やはり他界した。 ただし、この手記はベストセラーではない。 恐らく 「文学的な要素」に乏しいからだろう。 この脳腫瘍(グリオーマ)もプロポリスを飲めば、副作用なしに根絶できたはずであるが、この外科医はどうやら、その手を選ばず、3度に渡る手術 と従来の有毒な抗癌剤 (ケモ) カクテルに頼って、壮絶な最後を遂げた 言わば、「20世紀最後のサムライ」 だった。

ただし、脳以外は正常だったので、死直後、幾つかの臓器を他の患者に提供したそうである。 従って、彼の死によって、恩恵を受けた何人かの患者がいた。。。 "権威主義" の医学部、特に外科では、ある特定の "椅子" を巡って、壮絶な闘いが展開する場合が多い。彼はその椅子にも執着を持っていた。それが転がり込む直前に「末期癌の告知」を受けた。 さぞ、無念であったろう!  

もし、プロポリスで自分の癌を治療したら、外科医の権威は失墜し、目前の「椅子」は、はるかかなたに遠ざかるに違いない。 従って、彼の頭には、"プロポリス" という選択枝は浮かびようがなかった! これが 「悲劇の始まり」 だった。 もし、彼が内科医だったら、別の選択が出来たかもしれない。 患者にとって最も大事なことは、「実績」 と 「誠意」 である。 「権威」など何の役にも立たない! 

 私が小学4年の初め (敗戦直後)、小児結核で半年休学せざるを得なくなった。近所の町医師から飲み薬をもらったが、いっこうに効き目がなかった。「薮医者」だった。 ある日、母が勤め先 (GHQ) の親しい駐留軍将校から、結核の特効薬「パス」をもらって来た。 (戦後まもなくスウエーデンの化学者によって開発された) 「パス」のおかげで、我々3人兄妹は命びろいした。 以来、我が家は 「医者の権威」 というものを信じなくなった。


1. Liu Y1, Wang S2, Dong QZ3, Jiang GY3, Han Y3, Wang L3, Wang EH3.
The P21-activated kinase (PAK) expression pattern is different in non-small cell lung cancer and affects lung cancer cell sensitivity to epidermal growth factor (EGF) receptor tyrosine kinase inhibitors. Med Oncol. 2016 Mar; 33(3):22.
 

0 件のコメント: