人々の “健康促進” のために!

人々の “健康促進” のために!
2015年春、沖縄の琉球大学キャンパス内 (産学共同研究棟) に立ち上げた “PAK研究センター” の発足メンバー(左から4人目が、所長の多和田真吉名誉教授)
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2016年1月6日水曜日

可愛い子には旅 (武者修行) をさせろ!

 「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という故事があるが、実際には 「率先して千尋の谷を下りてゆく勇気のある子供に育て上げねばならない」。 昔は、そういう "若武者" が多かった! 今はいわゆる「井の蛙」が多過ぎる! 未知の世界に身を置き、自らの力で道を切り開くことが、遠い将来の成功への鍵になる高村光太郎の有名な詩 「道程」に、次のような一句がある:  僕の前には、道はない。 僕の後ろに、道はできる。 

私の幼年時代のヒーローは、山田長政とマルコ=ポーロという2人の冒険家だった。 山田長政は江戸時代の始め、鎖国が始まって、海外への渡航が禁止されてしまってから、初めて海外、それも近隣の朝鮮や中国ではなく、はるか遠いシャム王国 (現在のタイ) へ単身で渡り(密航)、数々の手柄を立て、将軍になって、シャムの王様に仕えた最初の日本人である。 不幸にして、政敵に毒殺されて、異国で生涯を終わったが、私には、本で読んだその冒険物語がとても気に入った。

マルコ=ポーロはイタリアのヴェニスの商人の息子で、13世紀の後半のある日、キャラバンを組んで、陸路シルクロードづたいに、はるか中国 (元王朝) の首都 (北京)を訪れ、ジンギス汗の息子 (元帝クビライ汗) に謁見する。 そして、20数年間の中国滞在中に学んだ中国 (東洋) 文化をイタリアに帰国後、『東方見聞録』という形で、西洋の世界に初めて紹介する。マルコ=ポーロの冒険については、往年の名優 「ゲイリー=クーパー」 が主演の白黒映画「マルコ=ポーロの冒険」(1938年)で初めて知ったように記憶している。

以来、私の夢は海外(特に欧米)で "武者修行" を始めることだった。実際にそれがかなえられるようになったのは、大学院で博士号を取得し、1973年の夏、米国のNIHからポスドク向けのフェローシップをもらってからであった。 父親の勧めで、渡米は飛行機ではなく、横浜からアメリカの巨大な貨物船(コンテナ船)で (当時は客船が日米間を周航していなかったので) 、9日間かけて太平洋を渡った。 乗客は私を含めてたった13名、残りは40名以上の船員たちだった。

船上で日本語を喋べれるのは私独りだけだったので、船客や船長あるいは船員などを相手に、毎日朝から晩まで、「無料」の英会話レッスンを楽しんだ。米国の西部海岸 "シアトル" に到着した時には、おかげで、すっかり英会話に慣れていた。 米国の土を踏んだ初日は、親しくなった船客の一人で、シアトルに住んでいる叔母さんの家に一晩泊めてもらった。 翌朝、グレイハウンド=バスで東部海岸に向かって、大陸横断旅行を開始した。 

青土社から数年前に出版された邦訳 「光るクラゲ: GFP開発物語」 (Aglow in the Dark) を読むと、2008年にノーベル化学賞をもらった下村脩さん(米国永住)が、1960年に渡米の際、"氷川丸" (豪華客船!)で太平洋を13日かけて渡航するエピソードを発見するだろう  ("コンテナ船" はシアトルまで 「ノンストップ」 なので、4日早く到着する利点がある!)。  "氷川丸" は、この周航を最後に(横浜の)山下公園に永眠することになる。

私の「秘伝」 (座右の銘) として、渡米中携帯していたのは、太田次郎著「アメーバ:  生命の原型を探る」 (NHKブックス、1970年) という本だった。

太田さんは御茶の水大学理学部の教授で、「フィザルム」 と呼ばれる粘菌アメーバの専門家である。 この本の中で、生化学研究に役立つ色々な種類のユニークなアメーバの特色を紹介してくれた。 例えば、フィザルムの場合は、名古屋大学理学部の秦野さんの収縮蛋白 (ミオシンとアクチン) に関する研究が詳しく紹介されていた。 この研究は (前述したが) 私がドイツのミュンヘンで、「アクチン=キナーゼ」の発見という形で、更に発展させた。

最初に私が注目したのは、巨大アメーバである 「アメーバ=プロテウス」 だった。その長さは 500 ミクロン、その核の直径は50ミクロンもあるので、低倍率の顕微鏡下でも、核移植が可能だった。そこで、私の渡米1年目は、ロッキー山脈の山麓にあるコロラド大学 (ボールダー) のレスター=ゴールドシュタイン教授の下で、核移植の技術をみっちり学んだ。

細胞分裂の直前、核膜が一旦消え、分裂直後に再び新しい核膜が現れる現象に注目して、消えた核がいかに再生されるかを観察するためである。 先ず、アメーバ全体の膜成分をアイソトープでラベルした後、ラベルした核だけを取り出し、ラベルされていない (予め脱核した) アメーバに、ラベルした核を移植し、細胞分裂の前後で、その核膜のラベルがどう消長するかを観察する。結果は極めて明解で、一旦細胞質中に均一に分散した核膜成分は、細胞分裂後に再構成 (集合) され、2つの娘核に均等に分布した。

実は私にとって、一番魅力的だったのは、「ディクチ」と呼ばれる細胞性粘菌の一種であった。 細胞分化のモデルとして、今日でも広く利用されている。周囲に餌がなくなると、単細胞のアメーバが互いに集合して、胞子と柄からなる多細胞生物 (子実体) に分化する珍しいアメーバである。半倍数体 (ハプロイド) が存在するので、色々なミュータントを容易に作成することができる。

最後に、この本には紹介されていない土壌アメーバに、渡米2年目に首都ワシントン郊外にあるNIHで出食わした。 この土壌アメーバから「PAK」という、ミオシンを燐酸化する珍しい発癌キナーゼを発見する幸運に恵まれた。 この土壌アメーバには、「餌なしに合成培地で無菌培養ができる」 という利点がある。この利点を駆使して、微量なPAKでも100 リットル近い大量培養から、純品を精製することができた。 そんな規模で哺乳類細胞を培養したら、一夜にして研究室は破産に追い込れるだろう!

この本のおかげで、私の欧米での最初の15年間の武者修行は、「アメーバ」研究に没頭できた(次の豪州での25年以上は、「癌とPAKに関する分子生物学」に徹した)。 紆余曲折はあったが、アメーバで学んだことが、様々な難病の治療にも役立つ日が遠くない将来にやってくるだろう。 太田さんは、今年91歳を迎えるはずである。 先生の "健康長寿" を心から祈りたい。

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